23人の医師が退職…“学閥”というしがらみを乗り越えた市民病院のいま
若手・脳神経外科医着任 初・女性副院長誕生
日野さんは院長をしながら週1回、脳神経外科の外来を担当。この日の患者は15人だが、医師不足に悩まされた1年前は、倍近くの人数を診ていた。 医師の大量退職の後、たった1人で脳神経外科を維持してきた日野さんだが、母校・京都府立医科大学に要請し続け、ようやく脳神経外科医・卯津羅泰徳さん(33歳 京都府立医科大学卒)が派遣されてきた。 オペでは卯津羅さんに積極的にメスを握らせ、日野さんは助手に回る。「(卯津羅医師は)元々才能がある。ほぼなんでも自分でできる。僕のほうが長くやっていて経験はあるので、経験がものを言う場面の時にしっかりサポートする。すごくいい医者になる」と日野さん。2人は互いに認め合う存在だ。
去年の春、医局人事で病院にやって来たのは、乳腺外科・診療部長の川口佳奈子さん(三重大学卒)。以前は京都大学系の医師がこのポストについていた。赴任して約1年が経過した川口さんは、「医療スタッフのレベルがめちゃくちゃ高い」と話す。 午前の外来を終えた川口さんは、患者を紹介してもらうために地域のクリニックへ。まめに挨拶回りをしているのだ。「一時は患者を送れない状態になっていた。徐々に直ってはきたが、完全ではない」と話すのは、「青地うえだクリニック」上田創平院長。少なからず、あの問題に関する影響は尾を引いている。 川口さんは、「患者さんに大手を振るって市民病院を紹介するのは、まだ躊躇する部分があるんだなと感じた。乳腺で困ったら“市民病院に行こう”と思ってもらえるようにしたい。みんな、なんとかしようと頑張っているので、一緒にできたら」と前を向く。
一方、残留を決めた医師たちもいる。麻酔科・診療部長の橋口光子さん(金沢大学卒)は京都大学の医局に所属し、一連の問題で同僚が退職する中、残留を決めた数少ない医師。 “患者を安全に、家に帰したい――”病院に残った理由は、医師としての矜持だった。 そんな橋口さんは今年の春に昇進し、市民病院初の女性副院長に。地域のクリニックと積極的に連携を図り、橋口さんの思いはいま、地域や市民のもとに届き始めている。