草野仁も感激…松井秀喜がアメリカで「子どものお手本」とまで言われていた「納得の理由」
米大リーグ・ヤンキースなどで活躍した名スラッガー、松井秀喜氏。実は日本人のみならず、アメリカ人からも深く尊敬されていることをご存じだろうか。著書『「伝える」極意 思いを言葉にする30の方法』を上梓したキャスターの草野仁氏が、松井秀喜氏にインタビューをした際の「忘れられない言葉」を振り返る。 【一覧】プロ野球「最も愛された監督ランキング30」最下位は、まさかの…
相手を知るために欠かせない「情報収集」
私がインタビューの前に必ず行っているのは、取材対象となる方の情報を、できる限り多く集めておくことです。 相手に失礼のないように、ということはもちろんですが、不安なく、確信をもってその場に臨むためには、十分な下調べが必須です。できる限り細かく、具体的な情報を集めるように心がけています。 幸い、今はネットワークが高度に発達した情報社会ですから、昔よりもはるかに情報を集めやすくなっています。以前は新聞、テレビ、情報誌などのメディアが主な情報源でしたが、近年は圧倒的にインターネット、なかでもSNSが主体になりました。 そして集めた情報の中から、相手に何を聞くかを絞り込んでいきます。 たとえばテレビでのインタビューの場合は、知り得た情報の中で、自分がいちばん「知りたい」と思ったところはどこか。 また、視聴者のみなさんがいちばん知りたいところはどこなのか、その両面から検討していきます。両者がぴったり合致するときもあれば、そうでないときもあるのですが、そこからぶれないように、しっかり詰めていこうという気持ちで取り組んできました。
私が松井秀喜さんに一番聞きたかったこと
例として、松井秀喜さんへのインタビューを思い出します。 松井さんは読売巨人軍で10年間活躍し、2003年にアメリカ大リーグのニューヨーク・ヤンキースに入団した後、2009年のワールドシリーズで日本人初のMVPを獲得するという素晴らしい成績を収めた選手で、現在はヤンキースのGM特別アドバイザーを務めています。 松井秀喜さんといえば、打席に立てばファンの誰もが驚くほどの距離が出るホームランを期待する。それでいて、生真面目で礼儀正しい選手であり、「ゴジラ」の異名をもっていながら、子どもたちが心からあこがれるプレーヤーでした。 私は、彼が読売巨人軍に在籍している頃から「とても誠実で素敵な選手だな」と、好感をもって見ていました。そして彼がアメリカにわたった2003年から5年後の2008年、ヤンキースのキャンプ地のフロリダで取材をする機会に恵まれたのです。 そのとき、私が彼にいちばん聞きたかったのは、1992年の全国高校野球選手権大会の2回戦、明徳義塾高校との対戦で、5打席連続敬遠をされたときの心境でした。それは甲子園の高校野球大会では初めてのことでした。 彼のいた星稜高校は2回戦敗退となりましたが、このときの甲子園球場は、ヤジを飛ばしたり、物を投げ込んだりするお客さんで試合が中断するなど、大荒れでした。 試合終了後も、主催の高校野球連盟が記者会見を開くなど、社会問題ともなりました。