「わたしたちは、いつまで人間でいられるのか?」8つのテクノロジー短篇の試み(宮内悠介『暗号の子』あとがきより)
これまでノンシリーズの短編集にはあとがきをつけてきたので、それにかこつけてというか、今回もそれにならい、あとがきを附すことにした。ぼくは人のあとがきを読むのが大好きで、隙あらば自分でも書こうとするからだ。いま試みに書架にある本のあとがきをいくつか読んでみたけれど、やはりというか、そのときにしか書かれえない空気感のようなものがあって楽しい。小説本体はできるだけ普遍を目指すものだから、余計にそう感じるのかもしれない。 というわけで――。 本書はぼくの3冊目のノンシリーズ短編集で、テクノロジーにまつわる話を集めたものとなる。こういう本を作りたいと考え、これまであちこちで書きためてきたものだ。小説作品としては、18作目にあたる。各短編の初出が文芸誌からウェブ媒体、SF専門誌から技術誌と、さまざまな領域を横断しているのも特徴かもしれない。以下、それぞれの収録作について。 ◆◆◆
暗号の子
書いたのはわりと最近で、2024年の4月から5月にかけて。これまで書きためてきたテクノロジー関係の短編を総括するような作をと考え、取り扱ってきた諸要素をちりばめることにした。それだけでなく、無自覚に反復している要素や題材も多々ある。それは今回一冊にまとめるにあたって気がついた。わりと適当なものである。 初出は『文學界』の2024年10月号。 「新たな共同体の試みとその蹉跌」みたいな展開が好物なので、そういう話を書いた。完全自由主義が出てくるけれど、これはテクノロジーと完全自由主義が結託して、人間性を剝ぎ取りにかかってきているような、そういう感覚をこのごろ特に強く感じるから。が、単に敵視するのも安易に思えたので、視点人物をテクノロジーや完全自由主義の側に置いた。 作中に登場する街灯と木々の比喩は、チェスタトンの『木曜の男』から引いている(だから参考文献に『木曜の男』がある)。どうせチェスタトンから引くなら小説ではなく評論、『異端者の群れ』や『正統とは何か』あたりに同じような喩えがあったはずだから、そちらを引くほうがかっこいいと思ったのだけれど、該当箇所を見つけられず、面倒になってあきらめた。