フロントからの残酷な一言「明日から来なくていい」 突如通告された事実上の“解雇”【インタビュー】
「明日から練習に来なくていいから」…フロントから思わぬ解雇宣告
「僕が最年少だったので、チームの雑用も全部押し付けられていましたから。サッカーがイヤになっていて、毎日『もう練習終わってくれ』と思っていましたね。自分が試合に出るために工夫したり、努力したりということもしませんでした。『もう、このままサッカー選手として終わってもいいや』と思っている時もあったんです」 ストライカーとして加入した平氏だったが、フィジカルの強さと足の速さを評価されてサイドバックでも起用されるようになっていた。「やったことのないポジションだったから、結構、面白いな、と」。さほど抵抗もなく、違うポジションにもチャレンジした。ただ、プロの壁は厚く出場機会は得られないまま、時間だけが過ぎていった。 プロ入り時、2年契約終了時に1年延長の契約を結んでいた平氏は、プロ3年目で大きな負傷をしてしまう。3年目にプロのサッカー選手としてアピールできず、年俸の減額を受け入れて鳥栖で4年目のシーズンを迎えた。この時、チームからはすでに「育成型期限付き移籍で、他クラブへ行ってくれ」と通告されていた。だが、ピッチに立っていなかった選手にオファーがあるはずもなかった。 移籍先も決まらぬある日、フロントから「明日から練習に来なくていいから。駐車場かどこかで練習してほしい」と、事実上の解雇を宣告された。この年からチームを率いることになったイタリア人のマッシモ・フィッカデンティ監督は、自身が起用するつもりのある選手と、そうでない選手を明確に分けていた。この時、平氏だけではなく、数名の選手たちも同様の扱いを受け、彼らはチームとは別に練習を行い、そのまま全員が夏の移籍市場で放出された。平氏もザスパクサツ群馬から、育成型期限付き移籍のオファーが届き、そのまま新天地を求めることとなった。 「海外ではこういうことが起こるっていうのを聞いていましたが、まさか日本でこんなことがあるんだなと驚きましたね。ある程度、時間が経ったからネタとして話すこともあるのですが、大体の人が『そんなことあるんだ』と驚きます」と、プロ4年目で迎えた衝撃の実体験を苦笑い混じりに振り返る。半年間のレンタルで移籍した群馬から完全移籍のオファーは受けられず、シーズン終了後にはフリーに。トライアウトを受けてもすぐにオファーは届かず、12月には実家に戻り、祖父がやっていた“牛飼い”の仕事を手伝い始めた。(次回へ続く) [プロフィール] 平秀斗(ひら・しゅうと)/1994年6月25日生まれ、鹿児島県出身。サガン鳥栖―ザスパクサツ群馬―福島ユナイテッドFC。佐賀東高を卒業後、2013年に鳥栖に入団。その後、J2群馬、J3福島と渡り歩き、18年で現役を引退。現在は牛飼いへ転身し、第2の人生を歩んでいる。
河合 拓 / Taku Kawai