フロントからの残酷な一言「明日から来なくていい」 突如通告された事実上の“解雇”【インタビュー】
高卒プロ入りも出番なし…元鳥栖の平秀斗氏が味わった苦い経験
日本代表が初出場まであと一歩に迫ったアメリカ・ワールドカップ(W杯)が開催された1994年に平秀斗(ひら・しゅうと)氏は誕生した。名前の由来となった「シュウト」は、高校サッカーをしていた父が付けたという。 【動画】「酷すぎる」 生え抜き選手が契約満了を宣告→試合後にベンチで大号泣の瞬間 地元・鹿児島の少年団で小学校1年からサッカーを始め、佐賀東高に進学する。中学まで在籍していたAFCパルティーダと佐賀東高の間につながりがあり、かつて鹿島アントラーズなどでプレーしたFW赤崎周平、J2横浜FCのMF中野嘉大、J3鹿児島ユナイテッドFCのMF中原秀人も、同じ道を進んだ。 佐賀東時代、高校選手権に出場することができなかったが、2010年にはU-17日本代表にも選出された。たった一度の招集だったが、そこでの衝撃は今も忘れられないという。「僕は鹿児島の田舎出身で、お山の大将という感じでした。ユースのエリートがいっぱいいて、関東、関西はレベルが高かった。彼らとプレーした時には、もう絶望感しかなかったというか、鼻を折られましたね。自分では敵わないと思ったので、代表活動には正直、もう行きたくないと思ったくらい」と苦笑を浮かべた。 佐賀東高から、初めてサガン鳥栖へ加入した平氏はこの年唯一の高卒選手。プロに入り、大きな壁にぶち当たったという。「入ってからが大変でした。それまで中学、高校と王様だったのですが、プロになったら一番下手でした。ミスに対して、それまで何も言われていなかったのが、結構、言われて……。プロはレベルが違い過ぎました。それまで楽しかったサッカーが、仕事になるとガラッと変わりました」と、振り返った。 現在、日本代表として活躍するMF鎌田大地とも練習後のトレーニングをしていた。鎌田が「なぜ自分が出られないのか分からない」と指導者に食って掛かり、試合出場のチャンスを掴み、結果を出してスターのキャリアを上っていく一方で、「自分には同じようなことを言うような、そんなメンタルはなかった」と言い、サッカーそのものが嫌いになっていったという。