時計やスマホはあるけど「城山の鐘」が時を告げないと「違和感」…若山牧水の歌にも登場、今も身近な存在
私たちの世界は音楽をはじめ様々な音や声であふれ、それにより癒やしや喜びを感じることもあります。思いを込めて音色や声を響かせる人たちを紹介します。 【写真】8代目鐘守の日高康彦さん
昨年12月27日午前10時。宮崎県延岡市の市街地を見渡せる城山の鐘撞き堂で、日高康彦さん(60)が腕時計に目をやりながらゆっくりと撞木をひいた。重く、低い音が計10回、澄み切った青空に響いた。
青春期を延岡で過ごした歌人・若山牧水が「なつかしき城山の鐘」「かの城山の時告ぐる鐘」と詠んだことで知られる「城山の鐘」は、1878年から市民に欠かさず時を告げてきた。
日高さんは「鐘守」と呼ばれるつき手の8代目。7代目の引退に伴う市の公募で妻の真理子さん(55)とともに2017年に就任した。堂の近くに住み込みながら台風の日などを除き毎日午前6時、8時、10時、正午、午後3時、5時の1日6回、時刻と同じ数の鐘をつくのが日課だ。
年末年始も延岡市役所などがある市中心部や遠くは2、3キロ先まで鳴り響く鐘の音。日高さんは「市民の生活に溶け込んでいて、なくてはならないもの」と話す。
市によると、城山の鐘は1656年に旧延岡藩主の有馬康純が近くの今山八幡宮に寄進したものが始まり。西南戦争でそれまで城山で時を告げていた太鼓やぐらが焼失したため、1878年に城山に移され活用されるようになった。
鐘守は旧藩主から任命された稲田家が5代にわたり務めた。鐘をつく回数は今より多く、戦時中は空襲警報として使用されたこともある。生活音が少なく、音を遮る建物も目立たなかったことから、より広範囲に鐘の音が聞こえていたと考えられ、市の増田豪学芸員は「住民にとって城山の鐘は今よりも身近な存在だった」と話す。
現在の鐘は2代目で、1963年から60年以上使われている。5代目の引退に伴い鐘守が公募制となり、市が委託する形になった96年に回数は10回から7回に減り、現在の日高夫妻が鳴らすのは1日6回。日高夫妻が週2日の休みの日はシルバー人材センターが代行している。