70年代生まれ団塊ジュニア世代が今なお割を食う事情、一発逆転を狙う「地獄のスパイラル」の行く末
■「受け手側」の姿勢が問われている このように消費者をカモにすべくさまざまな策を講じている企業のマーケティングを、一概に責めることはできません。ただ「同じ人が大量の本に同時に推薦文を寄せている」「ポジティブな評価に偏りすぎている」といった事態の不自然さに気づけるというのは、賢い消費者の1つのあり方でしょう。 こういう視点を持つことで「企業が力を入れて売りたがっているもの」ではなく、本当に自分が求めている商品にたどり着ける確率が高くなるわけです。
つまり、情報化社会がますます高度になるほどに問われるのは、私たちの情報の受け取り方なのです。たとえば飲食店選び1つをとっても、「食べログ」はどれくらい信頼できるのか。むしろ最近はグーグルマップのレビューのほうが信頼度は高いかもしれない。あるいは地元の人たちしか知らないような名店を探したいのなら、地元の有志がつくっているフェイスブック・グループなどに参加するのが一番間違いない、ということもありえます。
その他、今やグーグル検索では、「こたつ記事」をはじめ信頼性の低いまとめサイトがはびこっているため、商品情報ならばインスタグラム、最新のニュースならばX(旧ツイッター)のほうが確かな情報を得られるはずです。 企業のマーケティングも含めれば、とにかく世の中は「人をカモにしたい人」だらけです。その中で、自分が本当に求めているものを得るためには、消費者の側が、うまくツールを使い分ける必要があるというわけです。
■カモは一方的な被害者ではない 人が誰かをカモにしたり、誰かにカモにされたりすることには、時代背景も関係していると思います。ここで少し世代論にも目を向けてみると、日本においては1970年代生まれ、就職氷河期の団塊ジュニアあたりが「カモり・カモられ」の最盛期と考えられます。 思い返せば、大学を卒業して就職、終身雇用・年功序列に守られて順調に出世し、プライベートでは結婚、子ども、そしてマイホームと、地味で平凡だけど安定しているのが幸せ、というのが昭和のころの人生設計でした。それがバブル崩壊とともに崩れ去った結果、自分が生き残るには人をカモにするしかないという事態に陥ったのが団塊ジュニアです。