虎”レジェンド”フィルダー”伝説のハマスタ場外弾”に重なる…なぜ佐藤輝明は衝撃の場外弾を放つことができたのか?
三浦監督は、試合後のオンライン取材で過去に横浜スタジアムでこれくらい大きな場外弾を見た記憶はあるか?と聞かれ「ちょっと覚えていない。記憶力が悪いので」と反骨心を胸の奥に秘めて、はぐらかした。三浦監督は現役時代、2015年の交流戦でソフトバンクの柳田にハマスタのスコアボードを破壊する推定150メートル級の特大アーチを浴びたことがある。 横浜スタジアムの外野スタンドは、ビルの5階に相当する15メートルの高さがあるが、観客席は急勾配で奥行きがないため、場外アーチが出やすい構造にある。そのため、ここでの場外本塁打そのものは珍しいことではないが、過去に場外アーチをかっ飛ばしているのは、名だたるタイトルホルダーばかりである。横浜DeNAならメジャーリーガーとなった筒香嘉智。中日時代のトニー・ブランコは左中間スタンドの後方にそびえる照明塔の間を抜けていく場外にも超のつく一発を放っているし、もう一人の中日の助っ人のタイロン・ウッズや、ヤクルト時代のバレンティンも場外弾を打った。そして阪神にもハマスタの場外弾記録を塗り替えた伝説のアーチがある。 1989年8月13日、まだベイスターズが大洋ホエールズだった時代に、虎の4番に座っていた来日1年目のセシル・フィルダーがかっ飛ばした2本の場外アーチだ。当時、筆者はスポーツ紙の記者として、その場にいてフィルダーの本塁打の飛距離について取材していた。フィルダーはこの日、3本塁打を打ち、そのうち2本が場外弾。1本目は、ちょうど佐藤が打った右中間と左右対称的な位置となる左中間の看板の遥か上を超えていき、2本目はもう少しレフト寄りだった。球場の外に出てボールを探す球場警備員と一緒に目撃者を探したところ、隣接している公園を超えて、ちょうど市庁に渡る交差点の中に着弾したとの証言を得た。2発目も同じく、その交差点内が着弾地点だった。当時の球場の責任者を直撃。テーブルの上に球場内外の地図を出してもらい、アナログに物差しで計測して、かなり無理やり「推定160メートル」との証言を引きだした。 トラックマンが設置されている現在、佐藤の衝撃の場外弾の打球速度も角度も飛距離も正確な数字がわかるはずだが、横浜スタジアムでは、横浜DeNAの選手の本塁打のみを追尾発表するため、佐藤のそれは明らかにならなかった。”レジェンド”のフィルダーに肩を並べたとは書けないが、匹敵するパワーではある。おそらく推定飛距離140メートル以上はあっただろう。フィルダーは、この試合で、33、34、35号を放ち、結局、シーズンで38本を打った。自分で地面に叩きつけたバットが跳ね返って指を骨折するというマヌケな怪我で終盤戦を欠場してタイトルは42本を打ったラリー・パリッシュ(ヤクルト)に持っていかれたが、翌年、メジャーに復帰。デトロイト・タイガースで51本をマークしてメジャーで本塁打王を獲得している。 本塁打の飛距離に関しては、「ギリギリでも1本。場外でも1本」と割り切る打者と清原和博氏のように「できるだけ遠くへ」とこだわる打者の2種類に分かれるが、その飛距離はアーチストとしてのポテンシャルを示すバロメーターであることは間違いない。 多少、精度が狂っていても、そのポテンシャルで、フェンス超えが可能になるのであれば、ほんのひとつのコントロールミスも許されないという恐怖を相手バッテリーに植えつけることになる。フィルダー級の衝撃の一打を見せられると、改めて佐藤は結果が出なくても、相手投手の左、右関係なく我慢して使うべき選手だと思い知らされた。 阪神は強烈なインパクトを残すゲームで7年連続で勝ち越している”お得意様”の横浜DeNAから今季も先勝して首位をキープした。