完走率47%!40年ちょっと前のWEC富士の想いで
今週末は、いよいよFIA世界耐久選手権(WEC)第7戦富士6時間です。
近年のWECは、6時間レースを中心にル・マンの24時間レースなどが組み合わせられたシリーズが展開されている。
ところで日本でWECが初めて開催されたのはいつのことでしょう?
それは、1982年のこと。開催サーキットは富士スピードウェイ。当時は、その年に施行されたグループCカー規定の車両が参加し始めたばかり。そして、レースは6時間だった。レース中の使用燃料量が決められていたグループCカー規定は、その後1,000Kmレースが主流となった。42年前の日本初WECが今と同じ6時間レースだったのだ。
参加38台中、Cカーは4台のみ。いち早くCカーを開発したポルシェは956が2台。フランス人のジャン・ロンドーが自らの名を冠したスポーツカーにフォードエンジンを搭載したCカー、ロンドーM382C。そしてもう一台は地元・日本からエントリーしたトムス童夢セリカCだった。
日本初のグループCカーを開発したのは童夢。エンジンはトヨタの2リッター/ターボ。ドライバーは、舘信秀/星野薫/鈴木亜久里。
当時の耐久レースは、正に【耐久】レース。完走は18台。完走率は47%だった。ポルシェワークスとイタリアのランチャLC1の2台(グループ5)は予選から速さを競い、ランチャがポールポジションを奪った。レースの序盤もこの2チームの接戦が激しく、1周目のヘアピンまでランチャがリード、しかし、ホームストレッチに最初に現れたのはポルシェだった。その後ランチャがトップを奪い返すものの、レース中盤にトップ走行をしていた1台が100Rの出口でコースオフしクラッシュ。ポルシェの1台もグランドスタンド前にさしかかったストレートで左リヤタイヤがバーストしてサスペンションを大破しワークスチーム同士のトップ争いは1台づつを失った。時間が進むにつれてポルシェのジャッキー・イクス/ヨッヘン・マス組が首位を確実なものにし、2周差でリカルド・パトレーゼ/テオ・ファビ組のランチャを下した。