【なぜ】息子の死は『指導死』か否か…大阪の有名進学校でカンニング後に自殺 「適切な指導だったのか」遺族らの悲痛の訴え 過去にも約100件の“指導死” 問われる教育の在り方
■相次ぐ指導死…友人に答案見せ「前代未聞の不祥事だ」と指導「まるで刑務所」
男子生徒の父親は第一回口頭弁論の後、過去に同じく「指導死」で息子を亡くした西尾裕美さん(66)と出会い、学校指導の在り方を考える遺族らの会に参加するようになった。 西尾さんの長男・健司さん(当時16)は2002年、自ら命を絶った。 小学校から高校まで野球に打ち込み、小学校の時から高校数学の問題を解くなど数学が大好きで、“文武両道”の自慢の息子だったという。西尾さんは「本当に笑顔の素敵な子だった。頭もいいしスポーツもできて、友達にも好かれていた」と在りし日の健司さんに思いを馳せる。
兵庫県立伊丹高校に通っていた健司さんは、年末の期末試験で友人に頼まれて自分の答案用紙を見せた。これが教員に見つかり、自宅謹慎と反省文を書かされることになったという。 友人との連絡も禁止された中、反省文は毎日、用紙いっぱいに文字を埋めないと突き返された。学校からは「前代未聞の不祥事だ」などとも伝えられたという。次第に笑顔も減り、様子が変わっていくのを西尾さんは感じていた。 「常に1日中反省していろと、まるで刑務所に入れられたようだった」 3か月後、健司さんは校内での『喫煙』が見つかった。5人の教師から「お前は先生も親もみんなを裏切っている」などと叱責され、無期限の自宅謹慎を言い渡された。自宅近くの建物から身を投げたのは、その日の深夜のことだった。
■息子の自死「申し訳ない思いでいっぱい」 『指導の在り方』改善求め活動
西尾さんは「亡くなった直後は、健司の部屋でずっと泣いていた。自分も早く死ねたらと最初は思ったが、健司は何か役割を持って私のもとに生まれたと信じているので、健司の役割を私が果たそうと思った。私は生かされていると思いながら、毎日生きている」と話す。 その後、同じ立場の遺族らとともに国や関係機関に『指導の在り方』の改善を求めたり、各地で講演を行ったりするなど、約20年間にわたり活動を続けてきた。 西尾さんは、清風高校に通う男子生徒が亡くなったことについて、「教師が『ひょっとしたらこの指導でこの子が自殺するかもしれない』と意識していれば、事故をなくすことができる。一生懸命訴えてきたが、『指導死』がなくならないことに心を痛めているし、申し訳ない思いでいっぱい。生きていてほしかった命なのに、本当に悔しい」と思いを語り、現在は男子生徒の父親のサポートをしている。