「ハンバーグを知らず何を聞いても無言の子に絶望したことも」不妊治療を経て里親になった女性「35歳の私が最年少だった」
不妊治療を経て、現在は里親として子どもと暮らしながら、里親を支える活動をしている岩朝しのぶさん。里親になってから10年以上、身を持って知った子どもたちの現実について語ってくれました。(全4回中の3回) 【写真】「心を開き始めた様子がありありと」里親となった岩朝しのぶさんと出会って3年経ったころのお子さん(全13枚)
■35歳は不妊治療では「高齢」里親では「最年少」 ── 岩朝さんは、2年ほど続けた不妊治療を35歳のときにいったん休み、里親になることを決めたそうですね。 岩朝さん:里親になることを希望する方って、一般的に50歳以降の人が多いんですね。私は35歳で扉をたたいて里親になりましたが、里親の世界では35歳ってすごく若手です。不妊治療では「おばさん」くらいに言われていたから、里親の世界に入ったばかりのころに「最年少ですね」って言われてすごく嬉しかったのを覚えています。
年齢の壁って、自分ではどう努力しても乗り越えられないもの。不妊治療で年齢をすごくネックに感じていたぶん、里親のことを知ってからはすごく気持ちが前向きになって。里親登録をするときもウキウキしていました。「子どもがうちに来たら水族館やテーマパークに連れて行こう」って、バラ色の日々を想像していました。でも現実は全然、違っていたんです。
■炊飯器を丸ごとひとつを与えられ「白米」しか知らなかった子 ── それはどういうことでしょう?
岩朝さん:いざ子どもを迎えてみたら、水族館やテーマパークはその子からまったく必要とされてないと悟りました。養育里親に託される子どもは、虐待や親の病気などさまざまな理由で擁護され、その多くは児童養護施設などで暮らしていますが、わが家に最初に委託された子は当時5歳でした。ただ、「何食べたい?」と聞いてもまったく反応がなくて。「ハンバーグ食べる?」「餃子は?」「何が好き?チャーハン?」という問いにも答えられない。そのときは正直、ショックだったし絶望的な気持ちでした。
でも、一緒に暮らしていくうちにわかったのですが、決して心を閉ざしていたわけではなく、ハンバーグや餃子を食べたことがなかったんです。知らないから、「食べる?」って聞いても「うん」すら言えなかった。「じゃあ、何を食べていたの?」と聞くと、「お母さんが炊飯器を自分にひとつ預けてくれて、好きなときに好きなだけ食べていいって言ってくれるんだ」と。いかにも母親が優しかったかのように答えるんです。その瞬間、水族館やテーマパークに連れていこうなんて考えていた自分が恥ずかしかったし、その子が生きてきた過酷な現実に愕然としました。