「きちんと教えてこなかった大人の責任」ーー性を教え続けた公立中教諭の抱く危機感【#性教育の現場から】
中学校での性教育「最後の砦」
樋上さんが勤務してきた中学校のある地区は、虐待や貧困の問題を抱えていた。卒業生からも、予期せぬ妊娠や性感染症の相談があった。問題はそれだけではなかった。 「何より自分に自信のない、自己肯定感の低い生徒が多かったんです。『どうせ自分は』と投げやりだったり、非行に走る生徒、『親に愛されていない』と感じたりしている生徒もいました」 そこで樋上さんは、最初は自分の専門教科である保健体育で性について教え始めた。卒業前に3年生全体の前で話すようにもなった。 「『いのち』は『からだそのもの』と、性器を含めた『からだ』について科学的に伝えることで、生徒は自分自身の見事さを感じ取ってくれます。何より、言葉では表さなくても『本当のことを教えてくれてありがとう』という気持ちが伝わってきて、生徒との関係もよくなることを実感しました」 プライベートパーツのことも含め「からだの権利」について教えれば、ふざけと称して他の子のズボンを下ろしたり、股間を触ったり、トイレを覗いたりという行動が劇的に減った。月経や射精について男女一緒に学べば、男子生徒が「水道場にナプキンが落ちているよ」とそっと教えてくれた。 高校に進学しても、中退してしまう子がいる。学ぶ機会を失ったまま社会に出なければならない子どもたちがいる。だからこそ樋上さんは、義務教育である中学でのこの授業が「最後の砦」と考えている。 「『性の安心、安全』のためにも、避妊や中絶の授業が絶対に必要です」
性教育への介入、13年で大きく変わった「世論」
30年以上「性教育」を続ける間には、困難もあった。2018年に突然、一人の都議会議員が、3年生を対象に行っていた避妊と人工妊娠中絶の授業を「不適切」と批判した。これを受けて、東京都教育委員会も問題視。学習指導要領では高校で教えるべきものだとされている、というのがその理由だった。 性教育に対する同様のバッシングは、2003年にも起こっていた。都立七生養護学校(当時)で行われていた性教育に、東京都教育委員会や一部の都議会議員が介入したのだ。この件は裁判へと発展し、2013年に最高裁で都と都議が「不当な支配」を行ったと認定された。判決は、学習指導要領を超えた指導も直ちに「違反」とならないことを示した。 にもかかわらず、今度は樋上さんの性教育がターゲットにされた。しかし七生養護学校のころと大きく違ったのが、世論だった。このバッシングの当時、2018年5月11日放送の日本テレビ「スッキリ」の番組内で視聴者投票が行われた。中学3年生に「性交・避妊」を詳しく授業するのは「あり」か「なし」か、という質問だった。結果は「あり」が3万4075人、「なし」が3270人。早い段階で詳しい性教育を求める声は圧倒的だった。 樋上さんの授業への批判に対し、区の教育委員会は「不適切な授業だとは考えていない」とした。 校長の協力もあった。校長は初めて樋上さんの授業を見たときから、「生徒たちにとって必要な授業だ」と思った。その一方、「少し危なっかしいところがある」と管理職の立場から見ていた。学習指導要領との整合性を理由に、もしかしたら指導が入るかもしれない、と危惧した。 そこで校長は、そのリスクを「この教育を必要としている子どもたちのために」回避しようと考えた。区教委に授業を見に来てもらい、指摘を受けたところは樋上さんと相談して変えていった。 その過程では、区教委と校長が「『性交』がダメなら、『セックス』や『エッチ』ならばよいのですか?」ともめたこともある。樋上さんも校長と「それを教えなければ、他のことが教えられない」とけんかもしながら調整し、区教委のお墨付きを得た。そのため2018年に都議や都教委から批判があったときには、区教委はすでに授業内容を熟知していて、「問題はない」と判断した。 これまで保護者から、授業について反対や苦情を受けたことはない。保護者が授業を見に来てくれ、「家ではなかなか話せないからありがたい」と言われるという。