「いつもの先生」が教えることに意味がある──性教育を担える教員をどう育成するか【#性教育の現場から】
都内の私立高校、大東学園高校の1年生は、週に1時間、「性と生」の授業を受ける。最新のセクシュアリティやジェンダーの知見を取り入れた、体系的に性を学ぶ総合学習だ。同校の教員たちは25年かけて独自の教材を練り上げてきた。一方で、学校によっては「性教育をしたくてもできない」と嘆く教員がまだまだ多い。誰が教えるのか。どう教えるのか。教える側の悩みを探った。(文:岡本耀/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「セックスしたい」どう対応するか
東京都世田谷区にある私立高校、大東学園高校には「性と生」という性教育の総合学習がある。これは体のことだけでなく、人間関係や人権などを含み、性の多様性を基盤に据えた「包括的セクシュアリティ教育」(以下、セクシュアリティ教育)だ。 生徒たちはこの学習を通して性について知るだけではない。人の意見を聞き自分でも考え、この先の人生でより良い行動選択ができるように力をつけていく。 この新しい性教育をするに当たり、教員たちはどんなことに気をつけたり、難しさを感じたりしているのだろうか。今年6月、週に1度開かれる教科会を見学させてもらった。
担当する教員は8人で、男女2人1組で授業を受け持つ。 教科会では、阿部和子先生(66)と三坂央先生(45)のペアから「生殖をめぐる科学と人間関係」の「思春期」の授業後、ある男子生徒が「セックスしたくなってきた。ペニスさしたい」と、自分の性欲だけを主張する感想を書いたという話が出た。授業の感想は毎回、無記名で集められ、他のクラスの生徒にも共有される。 「性と生」は総合学習なので正解や不正解はなく、生徒たちには自由に考えさせている。そのためなかには「この考え方はいかがなものか」という意見が、授業中にも出てくることがある。町井陽子先生(35)は、その対処に難しさを感じている。 「教える側としては言わなければならないこともあって、自由にさせることとの間に矛盾を感じるときがあります。そういうとき、とっさに何を言っていいかわからなくなる。まだ経験値が足りないところがあります」