上島竜兵の妻・広川ひかる「“心のお守り”を持っておけば前向きに生きられる」1年半経って思うこと
今年の『NHK紅白歌合戦』は、有吉弘行が司会に立つ。昨年は、ダチョウ倶楽部、純烈と異色のコラボを組み「白い雲のように」を熱唱。故・上島竜兵さんの追悼のステージでもあり、パフォーマンス後の「上島も喜んでおります」というコメントは、日本中に笑いと涙を誘った。上島さんが亡くなられてから1年半。妻の広川ひかるさんは現在もなお「病院に連れて行かなかった自分を責めることがある」と言う。急逝した直後に遭った"メディア被害"や遺品整理の苦労、「ちっとも整理がつかない」という広川さんに、あらためて上島さんへの現在の思いを聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
亡くなる1カ月前に気づいた異変。病院に連れて行かなかった自分を責めることも
――上島さんが亡くなられてから1年半が経ちました。今の心境をお聞かせください。 広川ひかる: 生前、竜ちゃんは、著名な方が亡くなると、永六輔さんの言葉である「人は忘れられたときに、本当の死が待っている」と言っていたんですね。志村けんさんが亡くなったときも「みんなが志村さんのことを忘れたときに、本当に志村さんは死んじゃうんだ」って、すごく悲しそうに達観したような顔で言っていました。だから、本人もきっと忘れられたくないと思うんです。そして、私も竜ちゃんのことを皆さんに忘れてほしくないなっていう思いを持っています。 だから、竜ちゃんがいたっていうことを皆さんに覚えておいてほしいなと思って、面白い竜ちゃん、かわいい竜ちゃんのエピソードから、どうしようもない馬鹿野郎な竜ちゃんの話まで入れた本を書きました。私は広川ひかるという芸名で活動していますが、本はあえて「上島光」と本名で書いたんです。「上島=竜ちゃん」って、みんながきっとイメージをしてくれると思うので。 ――上島さんは亡くなられる前からメンタルの状態があまり良くなかったそうですね。 広川ひかる: もともと、感情の起伏が大きい人だったんです。ニコニコしてたかと思えば、急に怒り出したりとか、しょんぼりしたりとか。そもそも、そういう人だったので、私もちょっと気付きにくかったんです。30年間、“お天気屋さん”っていう言葉で片づけていましたしね。 ――病院で診察を受けることを勧めていたそうですね。 広川ひかる: 亡くなったのは2022年5月なんですけども、その1カ月ほど前に収録した番組を見たときに、「あ、これは私が思っている以上にひどい状態になっているな」と感じました。竜ちゃんは、外すボケとかすべるボケみたいなのをやることがあるんですけど、ボケになってなくてすべってるし、リアクションも取れていないし、目も違っていた。現場のマネージャーは全くわからなかったと言いましたが、私は様子のおかしさ、ぎこちなさというのは感じていました。 おかしいぞと感じるようになって通院を勧めてはいたんですが、昔からとにかく病院が嫌いで歯医者にすら行きたがらないような人だったので、「行きたくない行きたくない」って言われてしまって。何度も勧めたんですけど、心療内科的なものだと、私も行ったことがなくて勝手がわからない。皆さんに顔を合わせるような待合室みたいなところだとしたら連れていけないですし、嫌がる本人を連れて行くこともできないと思ってしまったんです。 あとから考えてみれば、お医者様に来ていただくこともできたんじゃないのかなと思うんですよね。私はなぜ、その努力をしてあげなかったんだろう、具合が悪いのを知ってたのに。そこは本当に竜ちゃんに対して申し訳なかったと思います。あのとき、ああすればよかった、こうすればよかった、なんで病院連れて行かなかったんだろうと、今でも自分を責めていますね。