町の電気屋 御用聞きで、年商9000万円「家電メーカー弱体化が追い風に」
日本の高度経済成長をけん引してきた大手家電メーカー。かつては“ものづくり”大国ニッポンを象徴する存在だったが、近年は中国や韓国、台湾などの新興メーカーの攻勢を受けて、凋落の一途をたどっている……。 アマゾンに駆逐されているって本当? 家電量販店苦戦の理由とは こうした家電不況により閉店する販売店も続出する一方で、逆風を追い風にして成長を続けている、地域に密着した元気な町の電気屋が存在している。
脱サラして家業を継ぐ
千葉県船橋市の北部に位置する大穴地区--。最寄駅の新京成・三咲駅からは徒歩で約20分、周囲には梨農園が広がる、人通りの少ない閑静な住宅街に「共栄デンキ」は店を構えている。代表取締役の片山誠司さんはいう。
「このあたりは高齢の方が多く住んでいるエリアなんですよ。70代、80代の方にとって、町の中心部にある家電量販店に行くのは一苦労、またネットで家電を買うという発想もありません。だから、意外と頼りにされているんですよ。私のほかに父と母、あと50代のベテランの従業員2人の5人体制でやっていますが、昨年の年商は9000万円ちょっと。今年は1億円を目指しています」 現在43歳の片山さんは、東京電機大学を卒業後、三菱電機グループの商社に就職。そこで主に営業担当として、携帯電話の基地局に設置されている空調の販売業務に携わっていた。父親である龍一さんが1975年に創業した電気店で働くようになったのは、いまから約10年前の32歳のとき。 「自分が店を継がなければ、ゆくゆくはなくなってしまうというのもあったし、自分の裁量で自由に仕事ができるというのも魅力でした」 趣味の自動車を通じて知り合った同じ年の女性と29歳で恋愛結婚した片山さん。脱サラして稼業を継ぐことときには、3歳の子どもがいたという。不安はなかったのだろうか。 「三菱電機100%出資の会社だから安定しているかもしれないけれど、そんなに大した給料はもらっていなかったですからね(笑)。現在も妻は薬剤師としてパートに出ているのですが、結婚する前は、正社員として働いていて、僕よりも高給取りでした。だから、結婚前から『いつまでもサラリーマン続けていても仕方ないんじゃないか』って、嫌味を言われていたんです(苦笑)。それに自営になるほうがサラリーマン時代よりも育児にも積極的に参加できるようになるので、妻は好意的でした」 こうして片山さんは、町の電気屋さんとしての第一歩を歩み始めた。2006年4月のことだった。当時は、工務店やリフォーム会社、ビルなどの大規模修繕工事を行う会社などの下請けとなり、電気工事を主に行っていたという。 「例えば『神奈川の現場で1個、照明を取り付けてほしい』と頼まれたら、数千円の工事費のために数時間かけて足を運ぶということもありました。大工の工事が遅れて、その日のうちに作業ができずに、翌日も現場に呼び出されたり。結局、下請けの電気工事屋は、いいように扱われ、安く買い叩かれてします。サラリーマン時代の経験から、このままでは消耗してしまうということを痛感しました」