長寿研究のいまを知る(14)老化は「44歳」と「60歳」で加速する
今年8月、米国スタンフォード大学の研究チームから老化に関する興味深い研究成果が発表された。「老化は44歳と60歳で大きく進む」というものである。多くの人が、老化とは年齢とともに体の機能が徐々に衰えていくと考えるかもしれない。だからこそ、このニュースに驚いた人も多いだろう。 カロリー制限でアンチエイジングは可能か? 動物実験では相反する結果も 研究対象は、米国カリフォルニア州在住の25歳から75歳までの108人。さまざまな生物的データが収集され、マルチオミクス解析が実施された。データには転写産物、タンパク質、代謝物、サイトカイン、微生物、臨床検査値といった各種オミクス測定値が含まれており、これらが老化とどう相関するかを調査している。参加者は平均1.7年間追跡され、最も長い人で6.8年にわたって追跡された。 ハーバード大学医学部&ソルボンヌ大学医学部客員教授の根来秀行医師が言う。 「オミクスとは、体内にある分子情報を網羅的に解析する技術のことです。オミクス解析は、体内の分子構成や状態を調べる方法で、さまざまなデータを組み合わせることで、より多くの情報が得られます。複数のオミクスを組み合わせた解析がマルチオミクス解析で、分子レベルでの老化や疾患のメカニズムを解明するための強力な手段となっています」 この研究によって、老化の分子マーカーにおいて一貫した非線形のパターンが発見された。 具体的には、年齢が44歳と60歳前後に達した時点で、特定の分子や機能経路の異常が顕著に見られることがわかった。たとえば、免疫調節や炭水化物代謝に関する経路が60歳ごろで変化し、40歳ごろには心血管疾患や脂質代謝、アルコール代謝に関連する経路の変化が確認されたのだ。こうした分子レベルでの変化は、老化に伴う疾患リスクの増加と関係していると考えられている。 「スタンフォード大学のこの研究は、老化が年齢に比例して進むわけではなく、特定の年齢でリスクが増大することを示しており、従来の『仮説駆動型研究』に対する新たな手法として注目されています。日本では従来、仮説に基づいて特定の分子や遺伝子を詳しく追跡し、ノックアウトマウス(遺伝子操作により特定の遺伝子を欠損させたマウス)の表現型を調査する研究が中心でした。その成果は国際的な論文として評価されてきましたが、現在の世界的なトレンドは新たなものになってきています」 ■世界中で注目されるマルチオミクス解析 一方で、欧米や中国では、仮説に基づかず大規模なデータを収集し解析する「データ駆動型研究」がすでに主流となっている。AI技術や高度な測定機器の進展により、これまでにない高精度で大規模な生体データを取得・解析することが可能になり、複雑な医学的・生物学的知見の取得が進んでいる。 「データ駆動型研究では、まず大量のデータを収集し、それを解析して科学的知見を導き出す方法をとります。これを可能にしたのは、AI技術や最新のシークエンサー、質量分析装置などの測定技術の向上です。たとえば、ゲノム(すべての遺伝情報)、エピゲノム(遺伝子発現に関わる要素)、トランスクリプトーム(すべての転写産物)、プロテオーム(すべてのタンパク質)、メタボローム(細胞内代謝物質の総体)といった各種オミクスの進展により、生命情報が網羅的かつ高解像度で取得できるようになり、複雑な生命現象の解明が進展しています。すでに糖尿病、がん、生活習慣病と腸内細菌叢の関係の解明にはこのデータ駆動型研究が用いられていますが、老化の研究でもこのアプローチが不可欠となっています」 また、肥満や糖尿病などの代謝疾患は急増していて、その背景には食事や運動、遺伝など多様な要因が複雑に関係していることがわかっている。こうした病気も、肝臓や筋肉、脂肪組織といった多くの臓器の相互作用によって影響されており、複雑なネットワークで制御されている。多くの因子を同時に分析するマルチオミクス解析が有用であるのは間違いない。 がんについても、腫瘍形成に伴って新生血管や血流不全が起こり、低酸素や栄養不足、低pHといったがん微小環境が形成される。この結果、転移や浸潤、治療抵抗性の増大といった現象が起こるが、その背後にはエピゲノム、トランスクリプトーム、プロテオーム、メタボロームといったさまざまな分子レベルでの変動がある。こうした多層的な分子変動の解析によって、がんの進行や治療の改善が期待される。 老化研究においても、国立長寿医療研究センターでこの手法が活用され、老化と疾患に関連するバイオマーカーの研究が行われている。マルチオミクス解析により、老化研究も新たな段階に入りつつある。(つづく)