東大生が「子供のゲームを禁止する親は頭が悪い」と考える理由
必要なのは「制限」ではなく「目標設定」
自分の身になって考えてみてください。大人にとって仕事は稼ぐ手段にもなるし、社会貢献もできるので、「やるべきこと」であると同時に「やればやるだけいいこと」でしょう。それならば、本業が終わってからも残業や副業で仕事をやり続けることは素晴らしいはずですね。 みなさん「無理だ」と思われたでしょう。子どものゲームも同じ。勉強は「やるべきこと」ですが、それだけで人生は構成できません。 みなさんが本当に気にしているのは、「ゲームをやりすぎること」ではなく、「やるべきこと」で結果を出していないこと。それならば、ゲームを禁止するのではなく、「勉強の目標」を設定したほうが有意義。 例えば、「次の定期テストは全科目平均点を取る」と目標を決める。それが達成できている間は、遊んでいても親は文句を言わない。 実際、中高生時代の私は「特待生待遇を喪失したら転校(=特待生が維持できる間は何をしてもよい)」と親と取り決めていたので、心行くまで部活とゲームに打ち込んでいました。もちろん目標を一方的に決めても意味がないので、ここは子どもと話し合うべきです。
ゲームと仕事と勉強の本質は同じ
そもそも、ゲームと勉強、それと仕事を切り分けて話をしている方が多いようですが、ここが大変ナンセンスに感じます。ゲームの本質は仕事であり、勉強だからです。 例えば、人気ゲーム「どうぶつの森」では、開始早々借金返済や家屋の改築のために様々な単純労働を行うことになります。雑草を拾ったり魚を釣ったり、これらは人から命じられて行えば、立派な仕事でしょう。 RPGゲームでは、しばしば「おつかい」と呼ばれる依頼が発生します。これも立派な仕事ですが、プレイヤーはそれをこなすために、敵と戦って強くなろうとする。 強くなるために、自軍に必要な能力を割り出して、そこを補強するように装備や人員など戦力を整える。実は、この能力こそ勉強や就活、仕事などで必要とされる自己分析能力です。 勉強や仕事とゲーム、何が違うのかと言えば、「達成度が目に見えるか否か」「身体的な疲労を伴うか」「彼我の戦力がわかりやすいか」「頑張れば必ず達成できるという確信があるか」など。 逆を言えば、現実の勉強や仕事などは、ステータスが目に見えず、「努力が必ずしも報われない」世界で行うゲームであるといえます。 ゲーム内で強くなり、攻略していくためには、必ずどこかで自己分析を行い、やるべきタスクを洗い出して、一つ一つ消化する手順が必要になる。 従来は勉強や仕事、スポーツなどでしか体験できなかったそれらを、いまではバーチャルに体験できる。参加のハードルが低くなったのです。 こういった意味で、ゲームはむしろ優れたトレーニング装置であると私は考えています。「ゲームだから」といたずらに規制するのは、あまりにも物事の本質が見えていないといわざるを得ない。