地震で生き埋め…亡き父に送り続けたLINE「春高バレー出場、決まったよ」16歳女子バレー部員の“1年後”…創部わずか2年、石川の高校で起きた奇跡ウラ側
奇跡の“春高出場”ウラ側
昨年4月からは東京都青梅市の明星大学青梅キャンパス跡地に拠点を移し、練習環境にも恵まれていた。彩さんは言う。 「震災が起きてから、なかなか気持ちの整理ができず、バレーに集中することはできなかったんですけど、こうして環境を整えてくださって、みんなと一緒にバレーができる。先生方に感謝してもしきれないですし、春高という大舞台に出場できることが信じられないぐらいに楽しみです」 ライバルの金沢商業には、昨年6月のインターハイ予選でセットカウント0対2で敗れていた。三溝克幸監督が振り返る。 「監督としては、選手たちに“被災地を元気づける”とか、“被災地を背負う”というような意識を持たせないようにしてきました。とにかく今は学校生活とバレーボールに集中する。その結果、被災地を何かしら勇気づけられればいい、と。インターハイ予選では金沢商業を倒そうと意気込み過ぎてしまって1セットも取れなかった。やっぱり伝統校が相手の場合、余計なことを考えていたら、劣勢になった時に“また勝てないのか”“やっぱり伝統校にはかなわない”と思ってしまう。春高予選ではいつもどおりのプレーを心がけ、練習試合の延長戦のように臨んだ結果、金沢商業に勝つことができました」 彩さんはチームのムードメーカーだ。 「とにかく明るい子。元気もある。金沢商業との試合では、ユニフォームを着ることができなかったんですけど、応援団長として声を張り上げて、チームを支えてくれました」
筆者と1年ぶりの再会
彩さんと初めて会った24年1月、父の最期を語る彼女はむせび泣き、地震が起きてからの日々の詳細を語る際にはいくつもの矛盾点があった。だが、それをいちいち問い質すことも憚られるほど、彼女は慟哭した。父を失ったショックと共に、避難所生活を送りながら日本語の苦手な母に代わって死亡届の提出など行政とのやりとりも16歳の彼女が担ったのだ。怒濤の日々を冷静に振り返られるはずもなく、表情は無いに等しかった。 春高の開幕を前に、彩さんには取材の依頼が殺到したという。日本航空石川の生徒はみな被災者だが、野球部や女子バレーボール部は県外出身者が多く、震災の起きた元日はそれぞれの地元に帰省していた。それゆえ、震災の日に輪島にいて、家族を失うという辛い経験をした彩さんにメディアの目が向くのは自然であった。しかし、彼女および日本航空石川は、テレビ中継を担当するフジテレビをはじめ多くの取材依頼を断ったという。筆者の依頼を受諾してくれたのは、1年前から動向を追ってきたからだ。 12月23日に再会を果たすと、11カ月前とはまるで別人のように明るい彼女がいた。彩さんは言う。 「ちょっと前までは、こうして誰かに震災やパパの話をすると、すぐに泣いていました。だけど、最近は泣かなくなりました。哀しみは消えませんけど、ちょっとだけ人として強くなれたと思います。これからはパパの代わりに私がママや弟を支えていかないと」 こちらの質問に悩んだり、困ったりする時には感情がそのまま表情に表れていた。あまりに表情が豊かに変化するものだから、変顔も得意では――そう問いかけた。 「えー、なんで分かるんですか!? へへへ。変顔、得意です。春高のメンバーに入れて、試合に出場できたらレシーバーとして、ピンチサーバーとして、チームの勝利に貢献したい。出場できなくても、私なりにチームを支えていきたいです」
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