映画「八犬伝」内野聖陽さんインタビュー 馬琴に寄り添う北斎、「実」が説得力を持ってこその「虚」
馬琴の書斎に風を持ってくる北斎
――葛飾北斎をどのように捉え、膨らませて撮影に臨んだのでしょうか。 この映画では、馬琴の凄まじい人生の中で、大きな創作エネルギーの起爆剤となった一人の絵師として描かれています。その馬琴の人生にどれだけ影響を与えていくかということが、今作での北斎の役割だったので、そこは大事にしていました。本が積まれた書斎の中から出てこない馬琴が、自由にフィクションの世界で羽ばたくのに対して、北斎は全国津々浦々歩き回った中でインスピレーションを得て絵にしている。創作家として真逆の人たちを設定しているので、曽利監督からは「馬琴のこもる書斎に風を持ってきてほしい」と言われたのは印象的でした。 ――北斎が馬琴の背中を借りて絵を描くという流れはアドリブだったそうですね。 寺島(しのぶ)さん演じる馬琴の妻・お百さんが部屋に入ってきて「じじいが2人で昼間から何やってんだ!」と言うシーンがあるのですが、最初に役所さんが何気なく「おじさん同士がなんか妙な感じでくっついていたら面白くない?」とおっしゃったのがきっかけで、いつの間にやら役所さんの背中で絵を描くことになってましたね。それがいつの間にか、マウントを取る北斎とひれ伏す馬琴みたいになって、馬琴としては何とか北斎に挿絵を描いてほしいから「もうなんでも言うこと聞く」みたいな関係性がオモシロく出たかなと思います。 ――役所広司さんと現場でディスカッションしたことは? 役所さんは僕より12歳年上で、映画界でも大活躍されている大先輩ですし、実は僕自身は、役者同士がディスカッションし始めるのはよろしくないと思ってるんです。監督ともそうですが、実際にやってみせるのが一番で、演じてみる中で「こういう感じか」といったすり合わせができていく感じはありますよね。なので、言葉で共有するのではなく、それぞれ持ち寄った演技の中で、どうもみ合うかみたいなことなんだと思います。 役所さんってもっと男っぽい役が多いイメージじゃないですか。なので、朴念仁で堅物な男というものをどういう風に造形してこられるのかなというのは、ちょっと想像がつかなくて興味津々だったんです。僕の初日が、馬琴と一緒に「四谷怪談」の舞台を観に行って、奈落にいた鶴屋南北と出会うシーンだったのですが、そこで馬琴が鶴屋南北と「正義」と「悪」、虚構の世界について論じあうんです。その時、すごい勢いで南北に噛みついていった役所さんを見て「こういうエネルギーを秘めた馬琴なんだ」と合点がいった瞬間でした。 ――互いの才能を認め、切磋琢磨し合い、馬琴の良き理解者でもあった北斎ですが、馬琴に対する思いはどんなものだったと思われますか? 最初に馬琴の筆が走る、その原動力を手伝う行為は、馬琴ファンのためにやっているようなところを感じました。自分が描く絵によって、馬琴の創作欲が触発されて筆が進むのであれば、それは万人にとって良いことだと捉えていて「君の筆が走ることは世の中にとっていいことだし、人のためになるんだからやりたまえ。でも挿絵はあげないよ」と、認めてるけど全部はあげないよみたいなところが北斎のかわいいところだなと(笑)、でも馬琴ファンのためにやっている、ファン第1号みたいな気持ちで常にやっていましたね。 北斎は江戸の庶民を観察して活写していく。それに対して、馬琴は活字の世界からインスパイアされて書いていくので、北斎からは考えられないその才能にはほとほとショックを受けるところもあったでしょうし、崇拝や敬愛の念を感じていたのだと思います。