こんなのあったの? 知る人ぞ知る「スーパーカー」 ひっそりと “消えた” 珍車 50選 後編
TVRサーブラウ・スピード12(1996年)
1996年のバーミンガム・モーターショーで初公開されたサーブラウ・スピード12(Cerbera Speed 12)は、最高出力890ps の7.7L V12エンジンを搭載し、世界最速を目指していた。当初はGT1向けのレーシングカー、プロジェクト 7/12として構想され、1998年にロードカー仕様のスピード12が登場した。 しかし、レースのレギュレーション変更を受け、TVRはスピード12は公道では速すぎると判断した。車重1000kgと軽量で、適切なセッティングさえ施せば最高速度380km/h以上も可能だったはずだが、アマチュアドライバーに売るのは不適切とみなされ、棚上げとなった。
日産R390(1997年)
R390は、日産がル・マン24時間レースでの優勝を切望していたことから生まれた。プロジェクトがスタートした当時、ル・マンを制したことがある日本車はマツダだけだった。 参加資格を得るには、市販のロードカー仕様を作らなければならなかった。しかし、日産はル・マンを制覇することができず、市販用のR390も1台しか作られなかった。3.5L V8ツインターボにより最高出力650ps、最高速度350km/hを実現するR390は、現在も日産が所有している。開発には、後にジャガーのデザイン責任者となるイアン・カラムも携わっていた。
フォルクスワーゲンW12(1997年)
1997年の東京モーターショーでフォルクスワーゲンが5.6L W12エンジン搭載のクーペを発表したとき、消費者の反応が良ければ市販化すると言われていた。このクーペが称賛を集めたことから、1998年のジュネーブ・モーターショーでロードスター仕様が発表された。排気量は6.0Lに拡大され、最高出力600ps、最高速度350km/hを達成する。 2002年のジュネーブ・モーターショーでは、改良型のクーペが披露された。しかし、フォルクスワーゲン・グループ内では当時、W12エンジンを使用するブガッティ・ヴェイロンを筆頭にスーパーカー開発が進められていたため、フォルクスワーゲンブランドからの投入は見送られた。