岡田暁生×片山杜秀・対談「ゼロ地点の音楽」
岡田暁生×片山杜秀・対談「ゼロ地点の音楽」
《ゴジラ GODZILLA》のテーマで怪獣に命を与えた大作曲家。 全世界の子供すら魅了してきた不思議な音楽の魅力を、『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書)の名コンビが解き明かす!
反近代主義のルーツ
岡田 本の中で自身もおっしゃっていますが、片山さんは作曲家・伊福部昭の長年の「信者」です(笑)。 片山 はい。マイノリティの極みで。 岡田 われわれの近刊『ごまかさないクラシック音楽』は、いわば「主流音楽史」への批判だった。だからというべきか、既成音楽史では「傍流」にいる伊福部はまったく議論にのぼらなかった。仮想敵は、例えば小林秀雄のモーツァルト論や丸山眞男のベートーヴェン像に代表される教養主義的クラシック受容でした。つまり伊福部を傍流へ追いやってきた「主流」が標的だった。 片山 うーん、そうですね。 岡田 それに対して「今回こそ片山音楽史の総本山である伊福部を主人公にしよう」という企画がこれです(笑)。この圧倒的な本を読ませていただいて何より印象に残ったのは、明治以来の教養主義的洋楽崇拝への伊福部の沸々たる怨念です。当然ながら著者の片山さんもそれは共有しているでしょうし、実は私も深く共感するところです。ただ正直いえば私はこれまで、伊福部の音楽は避けてきました。その理由がこの本を読んでわかった気がした。つまり私と片山さん(あるいは伊福部)では、舶来教養崇拝に反感をもつに至るルートがかなり違っているのではないかということです。端的にいって伊福部=片山の「反近代」は北方から来ている。片山さんの生まれは仙台、伊福部の故郷は北海道。しかし私は徹頭徹尾「西」の人間なんです。 片山 父方は紀州なのですが、どうも母方の血が強いようで。祖父母は岩手出身。祖父は一関で、祖母は津波で流された大槌。祖父は逓信省の電気関係の役人で東京住まいでしたが、戦後の電力分割で東北電力へ行き、仙台で白洲次郎の鞄持ちになりまして。 岡田 『大楽必易』には蝦夷の匂いが充満していますね。そして片山さんが住んでおられるのは茨城だけど、水戸はもともと常陸だから、源氏の武士の「東国」。 片山 書庫の都合で他に行きようがなく。常陸とはもともと、縁はないんですよ。 岡田 この本の舞台になる伊福部の音楽の故郷は、私のような「西」の人間にとって、もっとも縁遠い世界です。私の父は伊丹の出身なんですが、ここはもともと近衛家領。ほとんど天皇領みたいなものでしょう。伊福部は古代の因幡に遡る自分のルーツに強い自尊心をもっていたということですが、それでいえば伊丹は、伊福部の先祖を滅ぼし、あるいは北海道に落ち延びさせた仇敵の領地みたいなものです。しかも父の実家は造り酒屋だったから、どうしても私は江戸町人文化的なものと相性がいい。伊福部はスサノオノミコトを自分の先祖とすら考えていたようですが、そういう猛々しい古日本みたいなものに反射的に恐怖を覚える(笑)。ついでに言えば、私の母方は長州のこれまた造り酒屋でした。幕末の動乱で会津をはじめ東北の人々をひどい目にあわせ、北方へ追いやり、「近代以前」を徹底的に踏みつけて明治維新を敢行したのが長州。私の出自がことごとく伊福部のルーツと否定的に交差している。どうりで片山さんにいくら言われても、なぜか伊福部だけは聴いてみようとまったく思わなかったわけだ。きっと怖かったんでしょう(笑)。 片山 伊福部の敵が勢揃いしたようなご出自ですね(笑)。