岡田暁生×片山杜秀・対談「ゼロ地点の音楽」
合わせ鏡としての吉田秀和
岡田 これまで伊福部をなんとはなしに忌避してきた私ですが、今回はさすがにいろいろな録音を聴いてみました。今の日本の中堅指揮者たちの動画もいろいろ見ましたが、正直彼らはオーケストラをがんがん鳴らしすぎる。民俗音楽をそのままオーケストラで模倣したようにしか響かない。そのなかでちょっと別格の印象を受けたのが山田一雄さんの録音です。熱烈な音楽ファンというのは教祖=大作曲家の教えを使徒=演奏家が正しく伝道しているかどうかにとてもこだわるものですが(笑)、伊福部の「信者」としての片山さんの意見はどうです? 片山 仰せの通りです。山田一雄の伊福部は、フルトヴェングラーのベートーヴェンのようなもので。 岡田 山田は伊福部の音楽の「体液」を共有できる世代だったんでしょうね。ただし伊福部の音楽は「体液」に依存する部分がすごく大きくて、それを共有できる音楽家でなければ正しく再現できない脆さも感じたな。これを「普遍性の欠落」などというと言い過ぎでしょうが……。 片山 そこは言い方次第でしょうか。シベリウス、ブルックナー、ムソルグスキーのようなタイプの音楽なんです。「体液」がないと駄目でしょう。 岡田 近代日本が洋楽導入の手本にしたドイツ音楽を、伊福部は「日本人は自分たちから最も遠いものを手本にしてしまった」と喝破します。バッハのフーガやベートーヴェンのソナタ形式のことですよね。実はそれは日本人の「体液」に最も異質なものなのだと。日本人が行けるのはせいぜいシベリア経由でロシア=ストラヴィンスキーまで、イスラム圏経由でせいぜいスペイン=ファリャまで。意地悪く言えば、民族主義モダニズムという超近代にいきなり接続してしまう方が、バッハやベートーヴェン経由で近代を段階的に克服していくより簡単だ、と聞こえないことはありませんか……? 片山 伊福部が価値観を形成したのは、世界大恐慌後の「西洋の没落」が前提になった時代であり、恩師アレクサンドル・チェレプニンと同じく、近代はもう見限って、前近代から超近代へ行っていい、というノリはありますね。同時代の「近代の超克」と同じ思考パターンと言えるでしょう。 岡田 伊福部は何年生まれですか? 片山 1914年です。 岡田 13年生まれの吉田秀和とほとんど同い年か……。しかも吉田も10代のころ北海道(小樽)で過ごしているから、伊福部と結構ルーツも似ている。でも、吉田さんはそんなことつゆほどにも見せなかったなあ(笑)。 片山 吉田さんは、伊福部昭の名前を口にしようとしませんでした。ほら、片山さんが好きなあの人、とか(笑)。 岡田 よく覚えてる。話題になっても名前を口にしないんですよね。黙殺(笑)。 片山 吉田さんは東京生まれですけど、関東大震災で焼け出されて北海道に移り、東京に戻り成城高校に行った。 岡田 東京私鉄沿線大正教養主義の牙城(笑)。 片山 伊福部と同じように吉田さんも本当にはどこにも根差せていなかったのではないか。伊福部はそこで先祖の国津神系古代豪族へと血を辿ってワープしておのれを安定させるけれども、吉田さんはまさかそんな荒技は使えない。そこで日本古代でなく、西洋近代へ同化しようと、ドイツ語もフランス語も懸命に勉強する。トルストイの『戦争と平和』は北海道で読むとよく分かるとは仰るけれど、ロシア音楽には行かなかった。 岡田 国民楽派に対する吉田さんの蔑視はすごかった(笑)。「体液」の臭いがするものは忌避していたんでしょう。