岡田暁生×片山杜秀・対談「ゼロ地点の音楽」
「雑居」としての日本
岡田 これは音楽ファンだけでなく、何より、近代日本思想に興味のある人が手に取るべき本です。戦前の北一輝や石原莞爾から戦後の丸山眞男まで、彼らが生涯をかけて格闘した「日本にとって近代とは何だったのか?」というアポリア。音楽を通して、それに答えを出そうとしたのが伊福部だった。 片山 今日も畳に炬燵で対談していますが、伊福部という人は、日本人はいくら西洋化しても家に入れば靴を脱ぐではないかと言う。岡潔の台詞を借りて、民族の美意識は千年単位でないと変わらぬと言う。でも、やっているのはあくまで西洋音楽。『管絃楽法』という本を書き、オーケストラに執着する。日本の伝統に根ざしていると主張するのだけれども、北海道を媒介にして本土よりも北アジアとつながってしまう。 岡田 偏狭な日本主義ではなく、いわばユーラシア主義としての日本主義ですね。 片山 田んぼの芸能とは違うんですね。日本的淡白さとは縁遠い。灰汁が強い。ロシアのオーケストラは馬力があっていい、というのが口癖で。肉が大好きだし。表では日本だ、日本だと言いますが、裏では、青少年時代の僕はヴァイオリンでベートーヴェンを一番練習したと言う。日本人が西洋音楽をやる矛盾に正面からぶつかっていた人です。 岡田 伊福部の「日本」は、反動右翼が口にする抽象化された「純粋な日本」ではない。そこには様々な歴史の古層がある。スサノオノミコトの日本、物部氏の日本まで透けて見えてくる。隣接諸国からもロシアや中国やギリヤークといった様々な文化が入り込んでいる。北海道にはアイヌもいる。そんな古代以来の人々の往来を通して形成された文化の古地図を見るような本です。 片山 伊福部らしさとは、北の「雑居」なんですよね。
「体液」から世界を見る人
岡田 ところで伊福部は昆虫採集が趣味だったそうですね。 片山 岡田さんと同好の士ですね。 岡田 ところがびっくりなのが、昆虫の中でも「アオムシ」の標本を作るのが趣味だったということ。ふつう昆虫採集といえばチョウとかクワガタです。ところがアオムシ、つまりチョウや蛾の幼虫の標本を作る、と。これは相当珍しいですよ。幼虫は薄皮一枚剥がせば体液で、特別な刃物を使ってお尻を切り、中身を出して藁を突っ込み、口でフウッと吹いて膨らませて標本にしていたそうですね。ぞっとするような気持ちの悪い作業です。 片山 やっぱり、そうですか(笑)。 岡田 しかもこのエピソードは本書の核にかかわる気がしてなりません。文化にも体液がある。体液とはそもそも生々しく気持ちの悪いものかもしれない。こういうものを近代日本の清潔主義は隠そうとしてきた。しかし体液とはすごく儚いものでもある。すぐ乾いてしまう。伊福部が若い頃に経験したというアイヌの村祭りなども、まさに文化の体液だったでしょう。しかし伊福部は決してアイヌの伝統芸能保存といった方向へは行かない。作曲家として楽譜を書く商売になる。「五線譜」って西洋近代合理主義システムの極致ですよね。それに則って曲を作る。僕にはこのことが、アオムシの体液を絞り取って標本にする感覚と重なって仕方がないんです。 片山 いつも「血」の話をする人でしたね。風土や文化でなく、体液で語らないと気が済まない。ロシア音楽に親近感を持つ理由も、モンゴルがキエフ大公国を征服して、ロシア人は相当程度モンゴロイドと混血しているから一緒になれる。いつもそういう言い方をするのです。幾分なりとも同じ血液がないと分かり合えないと。 岡田 それにしても「血」と「土」とは思想的にちょっとヤバくないですか? 片山 そこは音楽家だから微妙にすり抜けられるわけで。政治思想家だったら大変ですよ。 岡田 他方で、伊福部はプロコフィエフに代表される未来派的というかマシーン的なものに激しく反応しますね。ますますヤバい(笑)。「血と土と鉄」とくれば、当初ナチス・シンパだった小説家エルンスト・ユンガーの『鋼鉄の嵐の中で』や『火と血』がいやでも思い出される。あ、そういえばユンガーも昆虫採集が趣味でしたが。それはともかく、こういう文脈の中での伊福部の歴史観ってどういうものだったんでしょうか? 片山 日本、モンゴル、ロシアの血のベルトを考えているわけでしょう。モンゴルを軸に、ウラル・アルタイ語族がユーラシア大陸でベルトになっているという司馬遼太郎と似ているかもしれない。 岡田 それにしても、先祖についての伊福部自身の語りもすごい。自分は天皇より前の日本人の末裔なのだ、ってことですよね。『ウルトラセブン』の「ノンマルトの使者」の回みたいな話です。今の日本人は実は原日本人を滅ぼした侵略者だった、みたいな。 片山 北海道育ちだから水田で蛙が鳴いている日本的原風景に馴染めないと言いながら、伊福部家は天皇より前に日本に住んでいる古代豪族であったとの自負が強い。祖父は、代々務めていた因幡国の一宮・宇倍神社の神主の座を、神社の人事に介入してくる明治国家の政策のせいで追われ、神奈川に一家で逃げた。父は警官になり、神奈川県から北海道に移って、あちこち転勤した末に、十勝の音更村の村長になってアイヌ行政に携わる。その音更に三男の昭少年も札幌から連れて行かれて、アイヌコタンに出入りを許される特別な大和民族になる。ユーラシア的な根を音楽で主張してやまない伊福部昭は画に描いたような貴種流離譚の人なんです。