700グラムで生まれ「3日しか生きられない」と言われ…。小頭症(重度脳性まひ)の息子と家族との9年間の日々。前向きになれたのは家族や周囲の支えがあったから
療育施設への通所で気持ちに変化が。本当の意味で「前を向けた」
生翔くんが1歳半のときに職場復帰をした山崎さん。それを機に生翔くんは療育施設に通うように。療育施設への通所は、生翔くんの変化はもちろん、山崎さんにも大きく影響を与える転機となりました。 「医療的ケアが必要な子どもたちを預かってくれる、病院内の施設に通うことになりました。最初は大泣きして通っていましたが、数カ月たつと楽しんで通うように。看護師さんも保育士さんも理学療法士さんも、必ずだれかが自分に付き添ってくれて相手をしてくれる。それが息子にとっては本当にうれしかったみたいで。自分がやりたいことや、できることを伸ばすというのが療育ならではなので、寄り添ってくれるのがありがたかったです。 そこのスタッフさんたちはとても温かくて。『しゃべられなくても歩けなくても関係ないよね、かわいいから!』みたいな。皆さんの“かわいい”っていう言葉にすごく救われました。 生翔自身の変化もありましたが、それ以上に大きく変わったのは自分の気持ちの部分です。こういった場所を経験するのは初めてでしたし、障害児や医療的ケア児は自分の子どもしか知らなかった中で、施設に行くと本当にいろんな症状の子どもたちに会うんです。 私が今まで見たことのない世界で最初は戸惑いもあったんですが、まず知ることができたっていうのは自分の中でも大きな変化だったなと。こんなふうに社会って受け入れてくれるんだと思いましたし、そこに通っている子どもたちの親御さんたちも前向きなんです。いろんな人たちと関わって、初めて本当の意味で前を向けたのはその時期だったと思います」(山崎さん)
弟の存在がきっかけで、きょうだいたちにも変化が
生翔くんには、現在19歳の兄と15歳の姉がいます。きょうだいのお話を聞きました。 「生翔が生まれたとき兄はまだ小学生、姉は保育園だったので、寂しい思いをしたと思います。そのころのことで印象に残っているのが、小学校1年生のときの七夕のお願いごとに娘が『ママと一緒にあの料理ができますように、ママと一緒に寝られますように』と書いていて…。それがすごく胸を締め付けられる思いがして、今でも忘れられません。 でも兄も姉も率先して手伝いをしてくれて、しっかりしていたなと思います。そして何より、弟の病気を自然に受け入れて、かわいい、かわいいと言ってくれたのがありがたかった。今はもう2人とも大人になって考え方も変化してきて、弟の存在がきっかけになっていると思うんですが、兄は福祉教育に関心を持つようになりました。親としてはたいへんな分野と知っているだけに複雑な部分もありますが、子どもたちが決めたことを尊重してあげたいと思っています」(山崎さん) そんなお兄ちゃんは、山崎さんが立ち上げた医療的ケア児の家族の声をかたちにするブランド「cocoe」の商品開発にも参加しているのだとか。 「“cocoeがめざす共生社会において必要なもの”に関して、若者として、またきょうだい児という立場でどういった視点を持っているのか、彼の意見を非常に参考にさせてもらいました。cocoeの活動も応援してくれていて、とても頼もしい存在です」(山崎さん) お話・写真提供/山崎絵美さん 取材・文/安田萌、たまひよONLINE編集部 山崎さんや上のきょうだいの愛情を受けて、現在は小学4年生になった生翔くん。山崎さんはそんな生翔くんやきょうだいたちを育てながら、自身の経験を生かして障害児や医療的ケア児の家族の声をかたちにするブランド「cocoe」を立ち上げました。インタビューの後編では、ブランドを立ち上げた経緯やその背景にある思い、そして生翔くんの現在の様子を聞きました。 「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
山崎絵美さん(やまざきえみ)
医療的ケア児である息子の育児経験から、“心を笑顔に”というコンセプトで、障害児や医療的ケア児の家族の声をかたちにするブランド「cocoe」を立ち上げ、島根県を拠点に活動中。インスタグラムでは「cocoe」の活動や子どもたちとの暮らしを発信している。 ■cocoe https://t-cocoe.co.jp/ ●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。 ●記事の内容は2024年10月の情報で、現在と異なる場合があります。
たまひよ ONLINE編集部