700グラムで生まれ「3日しか生きられない」と言われ…。小頭症(重度脳性まひ)の息子と家族との9年間の日々。前向きになれたのは家族や周囲の支えがあったから
出産時の体重わずか700グラムで誕生。「3日しか生きられない」と言われたわが子
「産んだときの体重はわずか700グラムでした。新生児仮死という状態で自発呼吸はなく、私は赤ちゃんの顔も見られず、おめでとうも言ってもらえず、息子はすぐにNICUに運ばれていきました。『お母さんは処置をして病室に戻ろうね』と看護師さんに言われましたが、私は何が何だかわからない、赤ちゃんのことを聞きたいけど怖くて聞けない、そんな複雑な感覚でした。 そのあと、8時間ほどたったころに医師に呼ばれました。『赤ちゃんの状態が非常に悪い。自発呼吸の兆候も見られないので、おそらく3日ぐらいしか生きられないと思います』とはっきり言われました。いろんな説明をされて、同意書もいろいろと書きました。取り乱したりはしなかったものの、ただただ信じられなくて、ぼうぜんとしている…そんな感じでした。 それから『赤ちゃんに会ってあげてください』と言われて対面した瞬間、もう泣き崩れました。生まれて初めて見る大きさで、おなかがパンパンで全身真っ黒の赤ちゃん…。その姿にとにかく衝撃を受けました。人間ができる途中のような身体で、わが子の手のひらは私の親指の第一関節くらいしかない。全身は手のひらに乗るほど小さくて。もう本当に、ごめんなさい、ごめんなさいって…。そのときに初めて取り乱した気がします」(山崎さん)
退院後は呼吸管理に気をつかいながらも、愛情を注ぐ日々
そんな状況だったにも関わらず、奇跡的に呼吸状態が安定し、3日目には自発的に排尿もできるようになった生翔くん。3、4カ月たったころには人工呼吸器をはずすことができたそうです。そのあと生翔くんが退院するまでの間、山崎さんは毎日母乳を病院まで届けたそう。そのかいもあり、半年後には生翔くんの体重は2500グラムまで大きくなりました。 「医師と話していた“2500グラムになったら退院”という目標を、半年後にかなえることができました。とはいえ、自宅に帰ってきても酸素投与で呼吸管理をする必要があり24時間酸素を送っている状態なので、退院後はとにかく風邪をひかせないように気をつかいました。もちろん外にも連れて出られないですし、上の子どもたちが小学校や保育園で病気をもらってくるので、すごく神経を使って管理をしていました。最初のころはそこがいちばん苦労した部分ですね。とはいえ、やっぱり風邪をひくこともあったので、そのたびに入退院を繰り返していました」(山崎さん) そのころを振り返り、「あとは、ずーっと抱っこだったのがとにかくたいへんでしたね(笑)」と山崎さん。 「ずっと保育器の中にいたので、愛情不足というのか…。とにかく甘えん坊で寂(さみ)しがり屋さんでしたね。抱っこしてないと顔を真っ赤にさせて泣くんです。そうすると呼吸器の酸素の値がどんどん下がっていくので、とにかくそれが怖くて…ずっと抱っこしていました。私も寝不足が続いた1年でした」(山崎さん)