突然の「遠距離介護」、月々かかるおカネはいくら…?柴田理恵さんが明かす「介護との向き合い方」
累計188万部の大人気シリーズ『おとなの週刊現代』が大幅リニューアル!週刊現代で大反響だった記事の中から、相続や在宅介護など、「死後の手続きと生前準備」にまつわる記事を、加筆のうえ、ピックアップ。 【マンガ】「憧れのタワマン生活」が一転…!残酷すぎる「格差の現実」 〈第1部 知らないと損する死後の手続きの新常識〉、〈第2部 今日から始める生前準備のすべて〉、〈第3部 身の回りの整理整頓。人生の最期を考える〉の三部構成からなる『おとなの週刊現代 2024 vol.4 死後の手続きと生前準備』 (講談社MOOK) より一部抜粋・再編集して、人生の最期で失敗しないためのノウハウをお届けする。 『知らないと認知症生活は「真っ暗闇」に…ボケる前に「伝えておきたい」「まとめておきたい」13のリスト』より続く
柴田理恵が明かす「遠距離介護」の日々
「あれは、'17年10月半ばのことでした。富山に住んでいる親戚から、携帯に電話があったんです。『理恵ちゃん大変!おばちゃん(柴田さんの母親)が入院することになった!』と。実家に通ってくれていたヘルパーさんが、熱を出して苦しそうな母を心配して、親戚に連絡してくれたそうです」 俳優の柴田理恵さん(65歳)は、「遠距離介護」の始まりをしみじみとそう振り返った。 当時、柴田さんの母親は89歳。親戚に連れられて地元の大病院へ行くと、診断結果は腎臓が細菌に感染して炎症を起こす腎盂炎だった。3日後に柴田さんが駆けつけた際には命の危険もあったが、病状は徐々に回復。1週間後には、会話もできるようになっていたという。 「入院中に要介護認定の更新がありました。それまで母のレベルはもっとも軽い『要支援1』。しかし、更新の結果、重いほうから2番目の『要介護4』になった。介護なしには日常生活を送れない重度の状態と認定されたのです」 正直、困った―。そのときの心境を柴田さんは率直に語る。父親はすでに亡くなり、柴田さんは一人っ子。母親は以前から「東京には行かない」と宣言していた。ならば、自分が仕事を辞めて富山に帰るしかないのか。 「迷いがなかったと言ったらウソになります。でも、富山に帰るという考えは、すぐになくなりました。というのも、母からは常々、『自分の人生は自分のもの。あんたの人生はあんたのもの』と言われていたんです。親と子供の人生は別物、というのが母の信念でした。 私の生活が東京にあるのと同じように、母の大切なコミュニティは富山にある。地元での人間関係を大事にしているからこそ、東京ではなく富山の自宅で暮らさせてあげたいと思いました。だから私は、仕事を続けながら片道3時間の遠距離介護をする覚悟を決めた。特に帰る頻度は決めずに、仕事の合間をぬって富山に帰っていました」