江原啓之「財産を子に平等に分けたくない。〈娘の夫が嫌い〉も理由に。親の自由にしていいが、生きてるうちに説明を」
◆親にも本音と建前がある 私はよく、子どもが自分を犠牲にしてまで親の介護を担わなくてもいいと言います。相続もそれと同じ。子どもたちへ平等に譲らなければならないルールはないのです。スピリチュアルな視点で見れば、家族はともに学ぶ仲間。成人したなら、それぞれが自立・自律した関係がベストです。その真理が理解できず、親が説明した後に、相続放棄を迫られた子どもが実家に寄りつかない、疎遠になるなどということも考えられます。そうなっても親はしかるべきと覚悟するしかありません。 ここで一つ考えたいのは、親にとって相続させたい子、させたくない子の差について。その理由は、本当に「日頃から世話になっているか否か」の違いだけなのでしょうか。「財産は長男に継がせるべし」という古い因習に囚われている場合や、実は「この子のほうがかわいい」と思っていることもあるのでは。相続の配分についてキチンと説明ができないのは、どこかやましい気持ちが潜んでいるからです。本音と建前が親にあって、そこを悟られたくないからだと自覚しましょう。
◆金額=愛情の深さではない 財産を渡したくない理由に、「息子の妻が気に入らない」「娘の夫が嫌い」、あるいは「孫がかわいいと思えない」などもあるかもしれません。私は、それも根拠になりうると考えています。何度も言いますが、親の財産は親のもの。自由にしていいのです。「息子に財産を遺せば、嫌いな妻にも渡ることになる。それは絶対にイヤ」と思うなら、そう息子に説明しましょう。それ以降、息子との関係が変わらなければ御の字。もしかしたら、夏休みもお正月も、息子一家とは別で、疎遠になる場合もあるでしょう。でも、いいではありませんか。嫌いな人と顔を合わせなくて済み、意外とスッキリするかもしれませんよ。 いずれにしても、正直に理由を話せば一悶着起きる可能性は大です。けれど、生きているうちならお互いに気持ちを伝え合えます。亡くなってからでは推測するしかなく、妄想が膨らんで苦しいだけ。そう考えるようにしましょう。 読者のなかには、お題に出てくる子ども側の方もいますよね。「親の面倒をみなかったのは確かだけれど、相続で差をつけられるのは、なんとなくモヤモヤする」「いざ相続というときになったら、自分は放棄するつもりでいるが、前もって親から放棄してくれと言われると複雑な気持ちだ」と思うかもしれません。結局は放棄するのに、なぜハッキリ言われるとモヤモヤするのか。 答えはお金の問題ではなく、相続の差イコール愛情の差のように感じるから。つまり、相続する子のほうが親に愛されていると感じてしまっているのでしょう。成人しても親に愛されたい、大事にされたいと思っているのだとしたら、厳しいようですが、あまりにも甘えがすぎます。いざ蓋を開けてみたら、親には借金しかないかもしれませんよ。借金も相続対象ですが、「それならいらない」と思うのだとしたら、文字通り現金な話です。きょうだい間での差にこだわるのはやめて、自立・自律した大人になりましょう。親の愛情は、お金の額とは関係ありません。今まで親がしてくれたことすべてに愛情はこもっているし、お金に換算できない、物量では測れないことがたくさんあるはずです。それらすべてが親から与えられた財産だと思えば、幸せを感じられるのではないでしょうか。 (構成=やしまみき)
江原啓之