“見捨てられた被災地”能登で生きる 震災から1年 復興進まず“集約化”の動きも
新しい家は同じ輪島市内。地震の後、空き家となった物件。杉本さんの選択は家族3人で「能登に住み続ける」ということだった。 地震で全壊した工房も自宅の横に再建。かかった費用は500万円。震災から1年が経とうとしている中、周囲の家は修復も解体もされず放置されたまま。移住で能登から出て行く人は増えていた。 杉本豊さん 「かなり空き家になっていて、隣も空き家、向こうも空き家」 「子どもたちには選択肢として、『東京に戻る選択もあるよ』と一応尋ねたんですけど、子どもたちは『門前が大好き。ここにずっといたい』という風に2人とも言うので、これはもうここにずっといようと決意しました」 ■杉本さん親子が守りたい能登の魅力 長男の和音さんが通う門前中学校。過疎化と震災で10年ほど前まで100人を超えていた全校生徒は42人に減った。 杉本さんの長男・和音さん 「こっちの学校は人数が少ないからみんなが仲いい感じ。あっち(東京)の学校だと人数が700人ぐらいいて話したことない人もいっぱいいるけど、ここの学校だと話したことない人はいないかな。未来のことは分からないけど、このあともここに居続けたいと思っています」 そんな杉本さん一家を地域の人も温かく見守っている。 輪島市の住民 「(杉本さん一家が残るのは)やっぱりうれしい。子どもたちが『能登に残りたい』と言ったのが本当にうれしかった。涙が出る」 杉本豊さん 「ここが本当に夕日がきれいで。このために東京から来たみたいなものです。晴れてるなと思ったら『きょう行こうか』とか一緒に子どもたちを連れて見に来ています。地震で海底が隆起してしまって、海があんなに遠くなってしまいましたけど、景色が変わっても夕日は変わらないです」 息子2人と、この能登で。 ■行政に頼らず能登を復興させようと奔走する元消防士 被災者の笑顔を描き続ける小林さんがこの日訪れたのが、能登町に住む脊戸郁弥さん(34)一家。妻、長男、長女の4人家族だ。