“見捨てられた被災地”能登で生きる 震災から1年 復興進まず“集約化”の動きも
3か月が経っても公費解体のめどすら立たず、避難所生活が続いていた。 杉本豊さん 「復興はほんとに先長いですね。これだけひどいと。先が見えないぐらいの惨状ですね」 ■「見放されたと思っている」地元ボランティアの怒り 被災地の家族を描く小林さんにはもう一つの顔がある。それは復興ボランティア。毎月能登へ足を運び野菜や米を届け、炊き出しも行っている。小林さんは公的な支援が乏しい状況を肌で感じていた。 小林憲明さん 「こんなにボランティア頼りでいいのか。僕も渥美半島の先端に暮らしているので、同じように地震が来たら『切り捨てられるのでは』という怖さはある」 小林さんとともに活動している地元のボランティアも憤りを口にする。 能登のボランティア 田谷武博さん 「(国から)見放されてると思っている。1月2日か3日まで重機がちょっと動いてそのまま重機が置き去りになって。公費が入らないので重機が動かない。ダンプも動かないし人員も入ってこない」 今年4月、被災地復興について財務省は異例の提言を行った。 財政制度等審議会 増田寛也会長代理 「能登半島地震からの復旧復興にあたっては、地域の意向を踏まえつつ『集約的な街づくり』やインフラ整備が必要ではないか。事前防災にあたっては、地震が起こる可能性を自分事として『コンパクトシティ』を進めることが必要」 莫大な費用をかけて元通り“復興”させるより都市部への”住民集約”を優先する考え方。実際、若い世代を中心に復興をあきらめ能登を離れる人は増えていた。 能登のボランティア 田谷武博さん 「80歳90歳のじいちゃんばあちゃんが今この町だと7割がそうじゃないかな。働ける人はみんな仕事がないから(都市部へ)二次避難して向こうで働いているから。このまま潰れていくのかどうなのか。そんなところです」 ■能登に残るか離れるか 杉本さんの選択は… 去年、能登に移住したばかりだった杉本さんと2人の息子。11月、ようやく仮設住宅から引っ越すことに。