独りって、そりゃ寂しいですよ――「何をやらせても、人よりできなかった」パティシエ・鎧塚俊彦の実像
サーフィンはやらないけど、大きな波がきたら乗りたくなる
29歳でヨーロッパへ。スイス、オーストリア、フランスの有名店で腕を磨き、ベルギーでは当時の三つ星レストランBruneau(ブリュノウ)でシェフパティシエに。鎧塚の著書や公式ホームページでは、ヨーロッパ修業時代の手記を読むことができるが、これがすこぶる面白い。言葉、ビザ、文化、流儀……たくさんの壁がそびえる異国で冒険に挑むことができたのは、なぜだろう。 「サーフィンはやらないんですけどね。日本の波にもう飽きて、外国にはどんな大きな波があるのかと、それに乗りに行ったような感覚がありました。ジャン・ピエール・ブリュノウという偉大なシェフは、まあやんちゃで暴れん坊でしたが、そういう人に会うと、もうこっちはワクワクです。大きな波が来た~!みたいな。波が大きければ大きいほど、乗りがいがあるじゃないですか」 好奇心と前向きな性格。それもきっと不器用なせいだろう、と自身を分析する。 「父も祖父もすごく器用な職人だったのに、なんで僕はこんなに不器用なの、というくらい不器用なんです。センスもない。ただ、それを子どもの頃から、自分でわかってたんですよね。これがよかったんじゃないかなと。人一倍やらないと、人並みにはならないから」 帰国後、自身の店を立ち上げると、瞬く間に大人気に。2012年、網膜中心静脈閉塞症で左目の視力を失い、一時は引退も考えたが、妻の支えもあってToshi Yoroizukaは順調に成長。鎧塚俊彦の名は全国に知れ渡る。素材をつきつめるうちに畑作りに目覚め、しだいに、日本の農業と地域活性化に取り組むようにもなった。
誰かと恋愛関係になっても、女房に申し訳ないとは思わない
2015年、妻をがんで亡くした。以来、いまだ独りだ。 その理由については、世間から誤解されていると思うと言う。 「なんというか、もう、愛とか恋とかそういう次元ではないんです。そんなふうに書かれるのは正直恥ずかしいし、好きではありません。『もうインスタとかで彼女のことを出さない方がいいんじゃない、女性が寄ってこないよ』と友達に言われることもあるんですけど。ただやっぱり、川島なお美という存在、彼女が生きていた事実を、皆さんに憶えていてほしい。これは、一番近くにいた僕の、旦那としての務めだと思っているんです。それと、僕が独りでいることとはまた別の問題。誰かと恋愛関係になったとしても、女房に申し訳ないとか、そういうことは思わないです。今は、ご縁がありませんけどね」 川島は生前、熱心に動物愛護の活動をしていた。「イヌ・ネコの殺処分をゼロに」という遺志を継ぎ、鎧塚は現在、エンジン01文化戦略会議の「動物愛護委員会」委員長を務める。 「今年も9月20日から動物愛護週間がはじまって、24日に、『川島なお美動物愛護賞』を発表します。この日、坂上忍さんが造られた犬猫保護ハウス『さかがみ家』をはじめ、5つの動物愛護団体が来てくださって、譲渡会をやるんですよ。女房の遺言ではじめましたけど、僕も中途半端にやるのは嫌いなんでね。少しでもワンちゃんとネコちゃんたちの暮らしやすい生活が実現するように、一生懸命やりますよ」