アキレスは亀に追いつけない? 「円周率の日」に考える無限とパラドックス
「無限」とは何なのか?
歴史上、数多の数学者や哲学者がこの問題を論じてきました。その中の1人に、かの有名な古代ギリシャの哲学者、アリストテレスがいます。生まれた年も亡くなった年もゼノンからだいたい100年後の人です。 アリストテレスは、無限を新たに解釈し直すことで、このパラドックスを説明しようとしました。今回はそれをご紹介しましょう。
【無限に対する2つの解釈】
なぜアキレスが自然数を数え切ることになってしまうのか? アリストテレスは、それを「線分が無限個の点の集まり」であることを前提にしているからだと考えました。アキレスと亀の間に無限個の点があることを前提にして考えるから、アキレスは追いつくまでに無限個の点を通過しなければならず、結果、無限の自然数を数え切ることになってしまう。この前提がおかしいのだ、と。 そこでアリストテレスは、「無限個の点で線分が出来上がっているわけではない。線分から際限なく点が作り出せるだけだ」と考えます。少し分かりにくいですが、難しいのを覚悟のうえで説明しましょう。 まず、「線分は無限個の点の集まり」という先入観を捨ててください。数学を少しでもやっている方は「はぁ?」と思うでしょうが、ここは我慢です。線分とは、点の集まりとかではない、ただの線です。 次に、線分は切り分けることで分割できますね。その切り口が点だと考えます。つまり、点から線ができるのではなく、線から点ができるのです。 線分はどんどん分割していくことができます。そうすると点もどんどん生まれます。分割していくという作業は永遠に続けられるので、点も永遠に作り出すことができます。(だからといって、線分に無限個の点があったと考えてはいけません。分割していくという無限の作業を終えることはできないので、無限個の点ということもありえません) この「永遠に続けられる」という可能性こそが、アリストテレスの考えた無限です。無限というのは実在するものではなく、分割するとか点を作るといった人間の認識に属するものだということですね。