三笠宮妃百合子さまお別れ…「斂葬の儀」とは【#みんなのギモン】
近野解説委員 「百合子さまが亡くなられた翌日の16日から、一般の納棺にあたる『御舟入』が行われ、24日から26日の早朝までは『通夜』が行われました。25日は百合子さまの御霊をうつした霊代(みたましろ)を、祭壇に安置する儀式も行われました」 「そして26日に『斂葬の儀』、皇族方が拝礼される『葬場の儀』が行われました。葬場の一般拝礼も行われ、火葬までがすでに執り行われました」 瀧口麻衣アナウンサー 「一般の方も、お参りに行けるんですね」 近野解説委員 「そうなんです。26日に2回行われた一般拝礼には、合わせて900人以上の人が参列しました」 「では、百合子さまがどんな方だったのか、あらためて振り返ります」
近野解説委員 「昭和天皇の弟、三笠宮さまの妃殿下で、上皇さまのおばにあたります。生まれは大正12(1923)年。今月15日の朝、入院先の病院で老衰のため亡くなられました。皇室の中では最高齢の101歳でした」 「昭和16年10月に三笠宮さまと結婚され、3男2女に恵まれました。すでに皇室から離れた2人の娘もいらっしゃいます。3人の男のお子さまも、夫である三笠宮さまもすでに亡くなっていて、今回、孫の彬子さまが喪主を務められました」 「大正・昭和・平成・令和と、4つの時代を生きてこられ、『戦争の空襲を直接知る』最後の皇族でもありました。昭和20年5月の空襲の際には、当時1歳の長女とともに防空壕(ごう)に逃げ込まれたご経験もあります。お住まいも焼失したり、米軍機による機銃掃射も受けたそうです」 森圭介キャスター 「日本の歴史、皇室の歴史をご存じの方で、彬子さまも以前のインタビューで、百合子さまとお話しされる時間は本当に貴重な時間だった、宝物のような時間だったと言われていました。そのくらい大きな存在でいらっしゃったということですね」
近野解説委員 「2016年に100歳で亡くなった三笠宮さまとは75年間、連れ添われ、大変仲むつまじいご夫妻として知られています」 「結婚70年を迎えられた2011年には、文書で感想を寄せられ、三笠宮さまは『70年間、陰になり日なたになり私を助けてくれたのは何といっても妻百合子であった』『今静かに過去の70年を振り返ってみるとき、百合子に対して感謝の言葉も見付からないほどである』とつづられました」 「そして百合子さまも『余り頑健でない私をいつもいたわってくださった宮様のおかげで今日まで長生きできましたこと感謝の言葉もございません』と三笠宮さまへの思いを寄せられました」 瀧口アナウンサー 「お二人ともお互いへの深い感謝の気持ちをつづられていて、それだけお互いが大切な存在だということが、伝わりますね」