大阪桐蔭・鈴木塁 亡き友を思い、天仰ぐ「ルーティン」 センバツ
いつものようにグラウンドに入ると、まぶたを閉じて空を見上げた。今は亡き親友を思いながら――。第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)に出場している大阪桐蔭の鈴木塁選手(3年)は4年前の夏、甲子園での対戦を夢見ていた同学年の友人を亡くした。試合前に天を仰ぐのは、友に活躍を誓う大切なルーティンだ。 【あのドラ1も】昨年センバツからプロの扉開いた選手たち 鈴木選手が久野(くの)晴也さんと出会ったのは小学6年の時のこと。プロ野球12球団が小学5、6年生でチームを編成して日本一を争う大会で、2人は中日ドラゴンズのジュニアチームに選ばれた。 3カ月間、チームメートとして共に汗を流し、温厚な性格同士で意気投合した。将来の夢は2人ともプロ野球選手だった。 中学に上がり、それぞれシニアリーグに所属してからも、時折対戦して切磋琢磨(せっさたくま)した。鈴木選手は大阪桐蔭、久野さんは愛知の強豪校に進んで甲子園で対決しようと約束を交わした。 別れは突然だった。2018年8月14日。久野さんは少年野球クラブの旅行先だった愛知県新城市で、川に流されて帰らぬ人となった。当時、中学2年生。自宅前で素振りの練習を繰り返し、踏みしめたアスファルトの一部がはがれるほどの努力家だった。 その日、鈴木選手は岐阜県から夏の甲子園を見に訪れていた。帰途の車内で父から悲報を聞いた。「なんで晴也なんだ」。涙が止まらなかった。 野球をしている時や進路に悩んでいる時、親友の顔が浮かび、「晴也ならどう考えるだろう」と思った。「晴也の分まで」ではなく、「晴也と一緒に」生きようと思った。久野さんが帽子のつばの裏に書いた「意思あるところに道は開く」という言葉を、自らの帽子にも記した。 大阪桐蔭へ入学した後も、久野さんの家族に手紙を送り続けている。宛先は「久野晴也様、家族の皆様」。「晴也と一緒に頑張るから」と手紙につづると、厳しい寮生活にめげそうになっても不思議と元気が湧いてくる。 鳴門(徳島)を破った24日の1回戦。鈴木選手は三回に内野安打で出塁し、先制のホームを踏んだ。28日の市和歌山戦でも右中間に三塁打を放つなど活躍した。久野さんの父恵三さん(48)は「塁君の体を使って晴也がプレーしているように見える時がある」と話す。 4度目の春の頂点を目指し、30日の準決勝に臨む大阪桐蔭。鈴木選手はまた、空を見上げる。【隈元悠太】 ◇全31試合をライブ中継 公式サイト「センバツLIVE!」(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2022)では大会期間中、全31試合を動画中継します。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/hsb_spring/)でも展開します。