温泉&ビール、被災地に日常~異色の施設「輪島カブーレ」
津波から逃れて向かった施設~佛子園流復興支援とは?
2024年元日、能登町白丸地区は4.7メートルの津波に襲われた。多くの住宅が、跡形もなく流された。砂山由美子さんもその一人だが、地震があってすぐに近所の人たちと声を掛け合い、高台に逃げた。目指したのは佛子園が運営する農場施設「日本海倶楽部」だ。 「地域に密着して、このへんの方でもお世話になっている人もいるから」(砂山さん) 「日本海倶楽部」は1998年、佛子園が初めて「ごちゃまぜ」を実践した施設だ。26年前から障害のある人たちとクラフトビールを製造してきた。レストランもあり、地域の人や観光客が数多く訪れていた。さらに耕作放棄地が増える能登町で、障害者がそうした土地を耕し、地域の農業を支えてきた。 施設長の竹中誠は、震災直後から人々の避難生活を支えてきたが、今は復興支援にあたっている。 〇佛子園流の復興支援1~芋づる式に農業再建 能登町で最も多い農産物は米だが、震災で打撃を受けた。津波の影響による塩害で米作りができなくなった。さらに、地割れした田んぼも多く、水が貯められないために米作りを諦めた農家もいるという。能登町全体での米の収入は約6億円あったが、田んぼが使えないため、収入は激減する見込みだ。 そこで竹中は地域の農家に声をかけ、新たな取り組みを始めた。サツマイモで農業の再建を狙うという。荒れ地でもよく育つサツマイモを新たな特産品にしようというのだ。 収穫後の販路も確保してあり、お菓子の原料として石川県内の加工メーカーが買い取る。農家と障害者が協力して、2年後に3億円の収入を目指すという。 「ゆくゆくは加工業とか二次産業につながって、芋づる方式でいろいろなことがつながっていくといいですね」(竹中)
〇佛子園流の復興支援2~「ごちゃまぜ」チームが御用聞き 3月、入居が始まった仮設住宅を一軒一軒訪問している一団がいた。暮らしの困りごとを、聞き取っているのはJOCA(青年海外協力協会)だ。雄谷が会長を務める組織で、佛子園とともに、東日本や熊本の震災でも復興支援に携わってきた。今回は自治体だけではカバーしきれない仮設の見守り支援を託された。 ふだんの彼らは人を支えるさまざまな仕事についている。介護福祉士、保育士、僧侶……こうした「ごちゃまぜ」なチームを現場に送り込むのが佛子園の役割だ。