ポピュラーな曲が数十秒にアレンジ 日常生活の一部「駅メロ」のカリスマ音楽家が語る、ご当地駅メロが地域を活性化させる理由
駅の発車メロディーは、日本の日常生活において、最も聞かれている音楽の一つ。都内ではJRやメトロ、私鉄など、駅メロを聞かない駅はほぼありません。 地方ならではの個性が凝縮している、ご当地駅メロも増えています。ポピュラーな曲がたった十数秒の駅メロとしてアレンジされていたり、その土地を想起させるメロディーが作曲されていたりと、駅を訪れる人たちの思い出作りの一助となっています。 決して目立つ存在ではないものの、生活の一部となっている駅メロは、どのようにして生み出されているのでしょうか。 「駅メロ音楽家に学ぶ仕事のヒント」をテーマに、駅メロのカリスマとして知られる作曲家の塩塚博さんと、駅メロ制作会社・株式会社スイッチの小川洋一さんにお話を伺いました。
地域に根ざしたご当地駅メロも誕生
駅メロの誕生と開始には諸説あり、一説によると1989年にJR新宿駅と渋谷駅に導入された音楽が駅メロの発祥と言われています。作曲家の塩塚さんは、「駅メロが長いこと支持されて、30年以上も親しまれるとは考えもしませんでした」と当時を振り返ります。
鉄のみゅーじしゃん 塩塚博 (しおづか・ひろし) 百貨店に勤務した後、CM音楽制作会社に入社。ディレクターとして1年間勤務し、自らもCM音楽の作編曲数本を手がける。30歳のときに作編曲家・演奏家として独立。以来、レコード、CM、テレビ・ラジオ番組、駅発車メロディーなどの作編曲で幅広く活躍している。特に駅メロは、駅ホームに約220作品を提供(2024年現在)。その世界の第一人者「鉄のみゅーじしゃん」として脚光を浴びる。駅メロのメッセンジャーとして講演活動も展開中。
駅メロの誕生と開始には諸説あり、一説によると1989年にJR新宿駅と渋谷駅に導入された音楽が駅メロの発祥と言われています。作曲家の塩塚さんは、「駅メロが長いこと支持されて、30年以上も親しまれるとは考えもしませんでした」と当時を振り返ります。 塩塚「僕が初めて駅メロを作曲したのは1993年のこと。その当時から、何回聴いても近隣の住民や利用者が嫌いにならないような、耳障りのいい爽やかな音楽を作ろうと考えていました。 たとえば、JR中野駅でお酒を飲んで夜の11時にホームに立ったとします。そのときに自分が作曲した駅メロが流れて、駅周辺にこだまするわけですよ。これは大変なことだなと思って、なるべく皆さんに愛されるような、つんつんしない音楽を作りました」 塩塚さんの心配りは功を奏し、「中野で駅メロのクレームは聞いたことがない」といいます。そればかりか、塩塚さんと小川さんは数々の駅メロを手掛けるようになり、やがて塩塚さんは「鉄のみゅーじしゃん」と呼ばれて親しまれるように……。 塩塚「1990年代にだんだん人気が出てきて、携帯電話の着メロの多くの駅メロが採用されたことにより、その人気は加速しました。 2000年代になると、インターネットが普及したことで駅メロがますます浸透し、それまで駅メロを採用していなかった多くの駅でも、駅メロが使われるようになりました」