ポピュラーな曲が数十秒にアレンジ 日常生活の一部「駅メロ」のカリスマ音楽家が語る、ご当地駅メロが地域を活性化させる理由
その地域にゆかりのあるメロディーを駅メロにする、ご当地駅メロが根付いたのも2000年代のこと。1997年にJR蒲田駅で『蒲田行進曲』、2003年にJR高田馬場駅で『鉄腕アトム』、2005年にJR恵比寿駅で『第三の男』などが採用され、全国に波及していきました。
駅メロの制作会社を営む小川さんは、「昔と比べて駅メロの価値が上がっている」と指摘します。 小川「放送設備も近年は格段によくなりました。鉄道会社の社員も駅メロの重要性に気づいていて、駅メロは乗客とコミュニケーションを取るための一つのツールになっています。 それほど駅メロは一般の乗客にも認知されて親しまれていますし、駅メロが好きな『音鉄』や『録り鉄』の存在も大きくなりました。テレビ番組のクイズで、駅メロを使いたいというオファーは非常に多いです」
依頼主は地方の商工会や企業から自治体へ
ご当地駅メロが全国に波及する中で、小川さんは「大きな変化があった」と語り、こう続けます。 小川「以前は最寄り駅がある商工会や企業から、PRのために駅メロを作ってほしいという依頼が多かった。でも今は、地域の活性化のため、駅を玄関口と位置づける地方自治体から制作の依頼を受けることが増えました。 駅メロが限られた団体の宣伝ツールから公共性を重んじたものに変化しています。 たとえば、地域にゆかりのある童謡、唱歌、民謡とか市歌。そういったものを駅メロでぜひ使いたいと。 その背景には、地方自治体が駅メロを制作するにあたって、ある程度予算を確保できるようになり、駅メロを通じて地域の文化や歴史を知ることでイメージアップにつながると判断したからだと思います」 当然ながら、依頼をする地方自治体には失敗できないという思いが強い。なかには、ご当地駅メロ製作委員会のようなものが発足し、「メンバーには地域住民の学者や音楽関係者が名を連ねることもある」と小川さんは言います。 小川「そういった方からは時に厳しい注文もあります。わざわざ東京の会社にお願いしなくてもいいんじゃないかって。そんな時は、塩塚さんの駅メロを持っていってプレゼンをする。『塩塚さんはこれまでこういう駅メロを作曲してきました』と。 そうすると、大抵は塩塚さんのことを気に入ってくれて、『塩塚さんでいきましょう』と納得してくれるんです」