「モネの家」を飾るモネの浮世絵コレクションと、芸術家村ジヴェルニー誕生物語【モネの足跡をノルマンディに訪ねる】
芸術家村ジヴェルニー誕生の知られざる歴史
「この村のもうひとつの目玉は、ジヴェルニー印象派美術館です」(アンヌさん) 「モネの家」を出てからクロード・モネ通りを西へ、歩いて3分ほどの「ジヴェルニー印象派美術館」を訪ねました。カフェも併設するこの美術館は、印象派の歴史、起源、多様性、他の芸術運動への発展などに焦点を当てて、印象派の画家たちやその継承者の作品を扱っています。今年2024年は、第1回印象派展(1874年)が開催されて「印象派」が生まれてから150年です。訪れた時は、「印象派誕生150年」を記念して、日本画家・平松礼二さんがモネの大装飾画に敬意を込めて制作した屏風絵のシリーズ、「睡蓮交響曲」の展覧会が開催されていました。 ※ジヴェルニー印象派美術館公式サイト(英語あり) モネがジヴェルニーに移り住んだのち、モネを慕う多くの印象派の画家や芸術家がジヴェルニーを訪れ滞在しました。中でも、今も残る重要な場所が「ホテル・ボーディ」Hôtel Baudy(オテル・ボーディ)です。ここは、「モネの家」から、小さなカフェや画廊が点在するクロード・モネ通りを西に歩いて10分ほどにある、素朴なフランス料理が食べられるホテル兼レストラン。名物料理は、地元の鴨の砂肝とジャガイモが入ったオムレツ「オムレツ・ボーディ」。このホテルは、かつてフランスやアメリカの印象派の画家たちが集う場でした。 1886年の春、パリの美術学校で絵を学んでいた若いアメリカ人画家、ウィラード・メトカーフがジヴェルニーを訪れました。彼はボーディ夫妻が営んでいた雑貨屋を偶然見つけ、泊まれる部屋を求めましたが、夫妻は部屋は無いと断りました。数日後、メトカーフは彼のパリの美術仲間を3人連れて、再び雑貨屋を訪ねてきましたが、今度はボーディ夫人は彼らに食事を作り、部屋を貸しました。ボーディ夫人は、モネがすぐ近くに住んでいることを教え、そしてモネは、アメリカ人画家たちをランチに招待したと言います。 メトカーフたちは印象派の巨匠モネがジヴェルニーに住んでいて、そこにいる親切なボーディ夫人が面倒を見てくれることを画家仲間に教え、彼らは絵画制作のため、ジヴェルニーを頻繁に訪れるようになっていきます。1887年、店の裏手の小屋に彼らのためのアトリエが作られ、滞在用の部屋も用意されて、「ホテル・ボーディ」が誕生しました。 このアトリエには、モネ自身のほかにも、ルノアール、シスレー、ピサロなどのフランス印象派の画家も訪れました。アメリカ人画家としてはメトカーフのほか、セオドア・ロビンソン、ジョン・シンガー・サージェントなどのアメリカ印象派の画家、そして第4回印象派展(1879年)にも参加したアメリカ女性画家のメアリー・カサットなどが滞在し、「アメリカ人画家たちのホテル」と呼ばれ、画家たちの交流の場となっていきます。こうしてジヴェルニーは、第一次大戦の頃までに、延べ300人以上のアーティストが滞在したと言われる、アーティストたちのコロニー、芸術村となっていったのです。 現在、大阪の「あべのハルカス美術館」にて、《印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵展》が 2025年1月5日まで開催されていますが、言わばジヴェルニーは「アメリカ印象派」の誕生の地とも言えるのかもしれません。