4シーズン連続出場した国際大会に現れてきた川野の成長 東京五輪レース中に倒れ込んだ本当の理由とは?【35km競歩世界新・川野将虎インタビュー後編】
酒井瑞穂コーチ:リラックスして、ゆったりした気持ちで臨もうと話しました。自分を誉めるくらいでもいいんじゃないか、と。しかし川野の場合は逆効果だったようです。3人になったときに、メダル確定だからいいと安心してしまったんですね。後になって、闘争心がなくなったと本人もわかったようです。 川野:ブダペストは過緊張をすることなく、リラックスした状態で臨むことはできましたが、闘争心、集中力という部分では東京とオレゴンの方が高かったですね。試合で戦うことを考えたら、良い緊張をすることも必要な要素だとわかりました。今回の高畠ではラスト7kmで、ここで行き切るんだ、という強い気持ちをもって行きました。ここで怯んでいるようでは、代表権を掴んだとしても世界陸上では勝てないと思って、熱い闘争心を持って歩いたんです。オリンピックの前に2通り、リラックスして臨むか、緊張して闘争心を燃やしていくかをやってみたことで、パリ五輪や今回の高畠につなげられと思います。 ■世界大会で一度も入賞を逃していない理由とは? ――世界のトップで戦うことが徐々に、普通に感じられるようになってきたわけですね? 川野:オレゴンの世界陸上35km競歩が一番大きかったですね。東京五輪の20km競歩金メダルのスタノ選手と1秒差の銀メダル。初めてのシニア国際大会のメダル獲得です。それを達成した瞬間、自分も世界で戦えるんだ、と強く感じられました。それと同時に35kmの距離を歩いても1秒差で、金と銀という大きな違いが出ることも身をもって知ることができました。 ――世界のトップで戦うスキルとメンタルを身につけられた? 川野:21年の東京五輪から22年の世界陸上オレゴン、23年の世界陸上ブダペスト、24年のパリ五輪と、4大会連続で入賞以上の成績を残すことができました。一度も入賞を逃していないのは、大学時代から瑞穂コーチのもとで国際大会に向けてどういう準備をしていくのがいいか、そういう取り組みを積み重ねてきたからです。パリ五輪後も同じように、歩き込みもしましたし、よく食べて、よく寝て、よく練習して、大きなケガもありません。それが競歩の基本だと思っています。そういう姿勢を持って競技をしていけば結果がついてくる。今はその自信を持ってレースに臨めています。