オーストラリアに行って陸上を辞めた。高校も辞めようと思っていた
ワークスアプリケーションズでプログラミングや技術の下地を学ぶ
阿部川 カナダから帰国し、2017年に明治大学を卒業しました。そしてワークスアプリケーションズに就職します。なぜ、同社を選んだのでしょうか。 隈元さん カナダから帰国後、来日している留学生と日本人が集う言語交換会を自主的に開催していました。そこで今の妻となるカナダ人女性と出会い、交際を始めました。そのときから結婚を視野に入れていて、彼女がいつかカナダに戻りたいという意向があったので、いろいろな国で働けるスキルを身に付けることを考えました。それでプログラミングに本気を出すことにしました。 当時、ワークスアプリケーションズは従業員が6000人、毎年800人もの新卒を採用していて、研修が有名でした。入社から半年間、研修兼実務のような形で働けました。名物創業者の牧野社長が、「新卒の教育は、半分は慈善事業」と話していました。若い人たちにいろいろな知識を身に付けてもらい、ワークスを卒業した後にも活躍できるようにとの思いがあったそうです。牧野社長に感謝しています。 阿部川 経営者が若い人たちに「力を付けて外に出ていけ」とは、なかなか言えないことですよ。 隈元さん ワークスアプリケーションズの研修はただ「健康管理システムを作れ」でした。自分で要件定義して、どういう問題を、どのように解決するのかを全て考える必要がある研修でした。僕にはこの方法が向いていて、大学のプログラミングクラスはすぐつまずいてしまいましたが、ワークスの研修ではプログラミングの基礎知識を順調に身に付けられました。 阿部川 ワークスさんの学ばせ方も素晴らしいし、それに隈元さんが適応して自分の強さを認識できたのも素晴らしいと思います。プログラミングというと記述方法を教えがちですが、大事なことは問題解決能力や課題定義です。プログラミングは後からでもいい。ワークスには何年ぐらい在籍したのですか? 隈元さん 約2年です。 阿部川 その間はどんなことをしていましたか? 隈元さん 開発部門に配属されましたが、開発過程の問題を解決するエンジニアという特殊なロールにアサインされました。あえて名前を付けるとしたら、「問題解決人」や「プロセスエンジニアリング」でしょうか。 例えば、エンジニアが何かの機能を使うときに参照する情報がなくて困っていたら、解決法はドキュメント管理システムの開発、またはドキュメント自体の作成かもしれません。他には、何かを設定する機能でバックエンド側は開発できたけど、フロントエンド側がまだなら、バックエンド側に設定データを与えるために、僕が簡単なスクリプトやツールを作って設定できるようにするとか。自主性を持って、自分で問題を見つけて、自分で好きなように解決できました。 阿部川 隈元さん以外に、そのロールの人はいたのですか? 隈元さん いなかったですね。製品開発のチームは中国にいるので、たまに英語でやりとりもしました。 ホームステイで世界と出会い、ワーキングホリデーでその魅力に取りつかれた隈元さんは、「いつか海外で働く」ために着実にスキルを身に付けていった。後編は、隈元さんがカナダに移住することになったいきさつと、カナダでの生活や仕事の様子を伺う。
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