【記者のベストレース2024】「これだから競馬はやめられない。最高だ!」/赤城真理子
「これだから競馬はやめられない。最高だ!」 アルナシームが競走馬としてデビューしてから、歩んできた道。牧場、厩舎で連携を取りながら彼を支え寄り添ってきた日々。それぞれのレースであった、ジョッキーからの教え。そして横山典弘騎手と出会い、どうしても調教から必死になりすぎてしまうアルナシームが、どうしたら彼の〝本来の一番いい走り〟を取り戻せるのか、陣営とともに模索し始めてからの数か月─。その先に、中京記念の勝利がありました。後から振り返れば、理想にはもう少しだったそう。でも、あの時、あの瞬間に、横山騎手が天に両拳を突き上げながら発した冒頭の叫びは、決してウソではありませんでした。心からの、感情の爆発に思えました。 「僕、この仕事をしていて良かったって思いました。アルナシームが典さんと出会えて良かった。典さんは…トレセンの中にもファンが多いって知っていたけど、その意味がすごく分かった」 レース後、そうおっしゃっていたのはアルナシームを担当する五十嵐助手。先頭でゴールを切り、向正面手前まで流してから引き返してくるアルナシームを迎えに行くと、「典さん、僕と目が合った瞬間にガッツポーズをしてくれたんです」と言います。その瞬間、ホッとしたのと、喜びとがごちゃまぜになっていた五十嵐助手も、感動で打ち震えるような思いがしたそうです。私も、まずはファンとしての喜びを感じていましたが、1着の枠場に帰ってきたアルナシームのあまりに凛々しい顔を見て、彼がデビューした時から取材させていただき、横山騎手と出会ってからの過程もずっと追わせてもらっていた記者の立場から感じた成長に涙が出てしまいました。 後から、橋口調教師に「号泣していましたね」と言われたときはちょっと恥ずかしかったですが、アルナシームが橋口厩舎の所属馬だったからこそこれだけ取材してこれたんだ、だからこんなに感動してしまうんだ、と改めて実感もしました。一人でおめでとう、おめでとう…とつぶやきながら拍手していたところ、勝ち馬写真を撮る際にもまた素敵なシーンを目撃したんです。 アルナシームは、以前からカメラに囲まれながらジッと立っているのが苦手でした。極限状態になる競馬の後ならなおさら。その日もソワソワして早く帰りたそうに見えました。するとその時、横山騎手が五十嵐助手に何か声をかけているのが見えました。五十嵐助手はうなずき、アルナシームをその場でくるっと回させると、カメラに向かうようにして立たせたのです。普通、勝ち馬写真はカメラに対し横向きになるものですが、アルナシームはいきなり落ち着いて、静かにカメラを見つめていました。あとから五十嵐助手にお聞きすると、「典さんが〝一回その場で回して、カメラを見るような感じで立たせてみて〟って言ってくれたんです。その通りにしたら、アルナシームが不思議なくらい落ち着いて。ビックリしました。なんでそんなことまで分かるんだろうって」と。やっぱり横山騎手は、馬と話せるのかもしれませんね。 そのエピソードをお聞きして、私は2年前のことを思い出していました。アルナシームが阪神で2勝クラス(10月8日=瀬戸内特別)を優勝し、勝ち馬写真を嫌がるアルナシームをカメラマンさんがどうにかして撮ろうとしていたときです。 「お願いします、もういいでしょ。馬が嫌がってる、かわいそうや」 そう声を上げた方がいたんです。それは当時の鞍上であり、今は調教師となった福永祐一騎手でした。 「祐一さん、普段はあんなに穏やかやのに、馬のためってなったときは感情が出るんですよね。そういうところも、尊敬します」とは、当時の五十嵐助手。そのときそのとき、そばにいるホースマンたちが全力を持って良くしようとし、守ろうとしてきたアルナシーム。いえ、アルナシームに限らず、全ての競走馬がきっとそうなのですね。 そんな方々に取材をすればするほど、自分のプロ意識のなさを情けなく思うことがあります。今の自分に、取材する資格なんてないなと思うこともあります。けれど、アルナシームが初めて重賞タイトルを手にしたあの日。検量室前取材が終わり、記者席に戻ろうと裏側に引き揚げたとき、横山騎手がちょうど帰られるところに遭遇しました。取材させていただいた時間を思い返して言葉が見つからず、ただ深くお辞儀をしたところ、横山騎手が手を差し出し、握手をしてくださったのでした。その時、脳内にまた、「これだから競馬はやめられない。最高だ!」という横山騎手の叫びが響き渡った気がしました。私はあの日を忘れません。私にとっての2024年のベストレース。それは、アルナシームの中京記念です。
赤城 真理子