伊那谷楽園紀行(15)『究極超人あ~る』から始まったアニメ聖地巡礼の楽しみ
そのはじまりは、1991年にバンダイ(現・バンダイビジュアル)から発売された一本のアニメのビデオであった。『究極超人あ~る』。それは、ゆうきまさみが1985年から1987年まで『週刊少年サンデー』で連載した作品だ。 連載当時、この作品は極めて新しい作品であった。物語の舞台は東京都練馬区にある架空の高校・私立春風高校。そこに通っているアンドロイドであるR・田中一郎を中心に奇妙奇天烈な生徒やOBたちが繰り広げる日常。いわば、SFでありながら日常を描く作品である。 その新しさはR・田中一郎を中心とした主要登場人物たちが所属しているのが光画部(一般にいう写真部)というところにあった。80年代の半ば、まだマンガで描く部活動に文化部を描くということはなかった。なにより、ネクラとネアカなど人をライフスタイルで分類するのが流行していた上り調子な時代。現実世界ではネクラのほうに分類されるであろう部活動の面々が、活発に動き回り学園の中心となって騒動を巻き起こす様子は、大いに読者を惹きつけた。 連載中からイメージアルバム(楽曲や声優による会話劇などを収録したもの)も多数発売された『究極超人あ~る』のアニメ化は、ファンも待ちかねたものだった。 その物語は、光画部の面々が期日までにたどり着けば旅費が無料になるスタンプラリーに参加。珍道中の末に飯田線を使いゴールの伊那市駅へと向かうというものだ。それまでも、合宿旅行に飯田線沿線を利用していた面々。いつも通りの気分で、山田さん温泉(劇中に登場する架空の温泉)の最寄り駅である田切駅で降りてしまう。もう、次の列車ではゴールに間に合わない。もはや、部費は旅費で消えてしまうのかと思ったところ、面々はR・田中一郎が持参していた「轟天号」こと、ブリヂストンサイクルの自転車・ロードマンに8人乗りして走り出すのだ。なぜか、中央自動車道や高遠まで遠回りをして、伊那谷の風景をバックにしながら……。 そのアニメは、大いに受け、作品の舞台である田切駅を目指してファンは次々と飯田線の乗客になった。駅に置かれた「駅ノート」には、ファンの喜びの声が次々と刻まれた。近くの商店には、ファンが勝手に制作したR・田中一郎を描いたスタンプも設置された。その流れは、今でも途絶えることはない。 というのも『究極超人あ~る』が時代を超えて読み継がれる作品だったからだ。連載が終わってから20年以上が過ぎた2010年に、ゆうきまさみは再び作品を描いた。その後、不定期に作品は発表され2018年8月には『週刊少年サンデー』の掲載作の続き番号で単行本も刊行された。 時代も世代も超えて読み継がれた作品。だから、やってくるファンも途絶えることはなかった。決して、数は多くない。いま「聖地巡礼」として賑わう地域からすれば「たったそれだけ?」という程度の人数。月に一人か二人かいればよい程度。でも確かにファンによる聖地巡礼は続いていた。それが、大きな変化を見せたのは2012年のことであった。 (ルポライター・昼間たかし)