伝説の近鉄“いてまえ打線”の真実…超強力打線を支えた中村紀洋、タフィ・ローズが試合中に行っていたベンチ裏での作戦会議
プロ野球の長い歴史の中でも、燦然とその名を遺す近鉄の「いてまえ打線」。投手陣は弱くとも、圧倒的な打力で打ち勝つ野球はファンを虜にした。 96年から00年まで近鉄でプレーした平下晃司氏(46)に、中村紀洋、タフィ・ローズ、磯部公一、大村直之らが並んだ90年代後半の“いてまえ打線”を裏側を語ってもらった。 【動画】近畿大時代の佐藤輝明 破壊力抜群の打撃練習!監督も「日本人ではなかなかいない」
理想的なドラフトができた近鉄「もう一人、獲るか」
まずはドラフトの話からしていきましょう。 僕に声をかけてくれたのは中日、近鉄の2球団だけでした。どちらも高卒で指名するということではなく、「社会人に進んで3年後、もう一度プロを目指してほしい」という評価でした。 ですからドラフト当日は学校にいませんでした。当時のエースで2季連続で日南学園を甲子園に導いた坂元綱史が学校に待機していました。 そうしたら僕が近鉄から5位指名されたんです。これはドラフト当日に起こるイレギュラーだったといいます。 この目玉はPL学園のスラッガー・福留孝介で、近鉄が7球団の競合の末、交渉権を手に入れたんです。続いて2位で即戦力投手の岡本晃さん(関西大)、3位に俊足巧打の武藤孝司(創価大)さん、4位に全国大会にも出場していた好捕手・倉本慎也さん(広島経済大)を獲得。理想的なドラフトができていたんです。その流れで「もう一人いくか」みたいな話になり、私を指名したそうです。 僕も小川監督も驚きました。当初高卒プロを目指していたのですが、カープの春季キャンプを見る中で「自分が通用するわけない」と思うようになっていたんです。 監督に社会人からプロを目指しますと伝えると、こう諭されました。 「行けるときにいけ。高いレベルで3年間やったほうがうまくなる。大人の方にプロに行ける入口を作ってもらったのに、なんでいかない?」 今では行ってよかったと思います。球団からも「3年目までは一軍で使うとか考えていない。3年目までに体を作って野球を覚えて、4年目で一軍の活躍を目指そう」と言われ、実際その通りになりました。あのとき、監督から「お前なんかいけるか!」といわれていたら、プロ野球選手にはなれなかったかもしれない。