伝説の近鉄“いてまえ打線”の真実…超強力打線を支えた中村紀洋、タフィ・ローズが試合中に行っていたベンチ裏での作戦会議
「思い切り振る」チームカラーのおかげで一軍に上がれた
僕のスタートは近鉄で本当に良かったと思いますし、10年以上もプレーできたのは近鉄の方針が大きかった。 僕は得意の打撃を伸ばしてもらいましたし、チームにはお手本になる打撃のプロフェッショナルが数多くいました。 近鉄は「三振してもいいから思い切り振ってこい!」というチームカラーでした。奇しくも高校時代の小川監督と同じ方針でしたので、僕自身思い切りバッティングができました。もし「追い込まれたらコンパクトにいけ」といわれていたらダメだったかもしれません。 プロ入り当初の二軍監督は梨田(昌孝)さんで、僕がバットを短く持って振っていたら、怒られました。 僕は足が速かったので、指導者によっては足を生かす打撃を求めたかもしれません。ただ、長打のない俊足タイプは守備も良くないといけない。自分は守備がずっと下手だったので、小さくまとまっていたら一軍昇格できるレベルに達することができなかったと思います。 一軍の監督に起用してもらうには、実力に加え、個性が必要です。だから“長打が打てる俊足タイプ”として、育ててくれたのは良かったと思っていますし、そのおかげで一軍で出場できる選手になれました。
ベンチから出ていく中村紀洋とタフィ・ローズ
高卒4年目の00年、一軍に76試合出場し、プロ初本塁打も打つことができました。一軍にいた日々は刺激的で、毎日が必死でした。 当時のレギュラーはスラッガー揃い。大村(直之)さん、ノリさん(中村紀洋)、クラーク、タフィー(ローズ)、磯部(公一)さん……すごいメンバーですよね。 プロは自分の技術を人には話してくれません。見て学ぶしかありませんでした。磯部さんや川口(憲史)さんの打撃技術が素晴らしかったので、参考にしていました。 ノリさんとタフィーといえば、いてまえ打線の象徴で、豪快なバッティングが印象的ですが、じつはこの2人、かなりの研究家なんです。 彼らは高い技術だけで打っているわけではないんです。試合前の2人を見ていると、ずっと相手投手を研究した分厚い資料を、ずっと見ているんです。 試合が始まっても、自分の打席以外はベンチから出て行ってしまう。一打席目の配球を確認すると、ベンチ裏でずっと話し合っている。 「2打席目までに、捕手の配球の癖があるかもしれない、それを見極めるぞ!」 って。「これだけ研究すれば打つよな」と思いましたね。 ファンが喜ぶ“いてまえ打線”の豪快な打撃と本塁打数の背景にはこうした研究があったんです。 平下晃司(ひらした・こうじ) 宮﨑・日南学園時代は左の強打者として活躍し、1995年に選抜、夏の甲子園出場を経験。同年、近鉄バファローズから5位指名を受け96年から00年の4年間プレー。トレードで阪神に移籍し(01年から04年途中)、その後ロッテ、オリックスを経て07年に引退。現在は東大阪市にある「ブリスフィールド東大阪 スポーツアカデミー」のベースボールスクールのヘッドコーチを務めながら、東大阪長田ボーイスの監督を務めている。