豪腕ストッパーのオリックス・平井が引退会見 「いつも前を向いていた」
21年のプロ野球人生を振り返るとき、オリックスの平井正史(39)の脳裏に浮かんだのは、20年前の藤井寺球場のマウンドだった。1994年9月10日、対近鉄戦。同点で迎えた9回無死満塁という絶対絶命の場面が、平井のプロ公式戦初登板戦だった。先頭打者を三振に打ち取ったが、結局、サヨナラ犠飛を打たれる。過酷な局面を高校出ルーキーのデビュー場所に選んだ監督は、今は亡き名将、仰木彬氏だった。 「イニングもランナーもまったく何も考えずにマウンドに立ったことを覚えています。三振を1つ取っただけに、なおさら悔しかったですね。でも、あの試合があったからこそ、ここまでこれたんだと思います」。試合後、仰木監督は、「よく、あの場面でストライクをとれた。よく投げた」と、なんとサヨナラ打を打たれた投手となったルーキーに“監督賞”の金一封を出した。 「監督に褒めていただいた。打者に向かっていく。勝負するんだという姿勢は、あそこから生まれました」。10月9日、京セラドームのインタビュールームで行われた平井の引退会見。黒のスーツで現れた、かつての豪腕ストッパーは終始、笑顔だった。 宇和島東高時代に甲子園を沸かせ、1993年にドラフト1位でオリックス入団。最速157キロを記録した若き豪腕は、その翌年からストッパーに抜擢された。常時、150キロを出すストレートに落差のあるフォーク。当時、平井のボールは、「浮き上がる」「うなる」と打者に恐れられた。神戸を未曾有の大震災が襲い、「頑張ろう!神戸」とユニホームの肩に縫い付けて戦ったこの1995年のシーズンに入団2年目の平井は、15勝、27セーブの大活躍でオリックスのリーグ優勝へ貢献。新人王並びに最優秀救援賞を獲得した。 「特別な1年でした。(震災に)あった人にしかわからない体験だと思いますが、野球がやれる喜び、全員で勝つ喜びを認識させてもらった1年でした。タイトルは無我夢中の結果。あれを、もう一回やれと言われてもできません(笑)」