豪腕ストッパーのオリックス・平井が引退会見 「いつも前を向いていた」
だが、10代の肉体は、150キロを超えるスピードボールを生みだし続けることに耐え切れずに悲鳴を上げる。肘、肩を痛め、1999年以降は勝ち星から見離された。オリックス時代に世話になった山田久志氏が、中日の監督に就任すると、2002年オフに山崎武司との交換で中日へトレード。山田久志氏は、シーズン途中から平井を先発に配置転換すると、これがはまった。2003年は12勝6敗、防御率3.06で完全復活してカムバック賞を受賞した。 引退会見で21年のプロ生活で誇れるものは?と聞かれると平井は、笑顔で「手術をしたときにまだ野球人生の半分でした。一回こけてから、しんどいリハビリをして立ち上がったことですかね」と、故障を克服した時代の話をした。 平井は、その後、浮き沈みを繰り返して2012年オフに中日を戦力外となるが、トライアウトを受けて再びオリックスに返り咲いた。昨年は21試合、今季はわずか1試合登板に終わったが、「オリックスでユニホームを脱ぎたいと思っていた。オリックスで始まって、最後はオリックスでユニホームを脱げるのは幸せです。ハッキリ言って、まだできるとは思ったけれど、1年という長いシーズンで100パーセントのパフォーマンスを出せる期間が少なくなっていた。区切りをつけようと思ったし、悔いはありません。600試合登板にもう少しだったけど(残り31試合)、よくここまで投げたなと自分では思う」と、言った。 今では、日本ハムの大谷翔平が最速162キロを出す時代だが、20年も昔に平井が出した157キロは本当に衝撃だった。その時代は、太く短かったが、決してあきらめることなく、21年間も現役を全うしたのは、その後の平井の努力の賜物だろう。「ピッチャーは点をとられてはいけない。例えとられても次の失点を防いでいく。ずっと前を向いて投げてきたつもり」。 “前を向いて”。それこそが平井の貫いたピッチング哲学だった。