2年で250店舗と驚愕の出店数~安い、うまい!「鰻の成瀬」
わが道を行くマイペース人生~FCのあり方に疑問を抱く
山本の相談相手であり、飲食経営の教室や数々の店を経営する黒瀬実寿希さんは、山本をこう評する。 「僕も飲食業界では好かれていないのですが、僕よりも好かれていない人を久しぶりに見た(笑)。それぐらいみんな嫉妬しているんです。(山本には)『こうやらなくてはいけない、普通は』の普通がないので、ここまでのスピード感が持てる」 山本は1983年、滋賀県生まれ。両親はともに教師で、しつけは厳しかったが、自分を曲げない少年だったという。 「俳句や短歌を作る授業で、自分の感性で書いたものを先生に添削されたことに腹を立てて教室を出ていくみたいな。僕の感性を何こいつ勝手に直しているんだと」(山本) 他人が気にしないことでも、自分が理不尽だと思えば強く抵抗した。 そんな息子を、父・哲夫さんは「中学生になったら好き放題していた」と言う。 「『鰻の成瀬』を始めた時も、『20店舗に増やす』と言うので、『またはったりを言っている』と思った。だから20店舗になった時はびっくりしました」(哲夫さん) 高校卒業後、イタリアへ語学留学。帰国すると英会話の「ECC」に入社。そこでFC ビジネスに出会う。FC ビジネスに興味をもった山本はその後、FCで業績を伸ばす大手のハウスクリーニング会社に転職。FCビジネスのいろはを学び、本部のスーパーバイザーとなる。一人で100以上の店舗を受け持ち、全国トップセールスも記録した。 しかし、次第に山本はFCビジネスに疑問を感じ始める。ある日、上司から、売り上げが伸びない加盟店に本部が購入させる集客用のチラシを配ってもらえと言われた。だがそれでは加盟店の負担になるだけだ。「本部がネット広告などを打つほうが……」と提案する山本に、上司は「加盟店に頑張らせればいい。本部の考えることではない」と言った。 「本部のスタッフが会社員なので、FCのオーナーさんを見るのではなく、会社や上司の顔色を見て仕事をしていたんです。本部の売り上げ、利益が上がることが正解で、加盟店の売り上げ、利益は二の次みたいな空気感があった。自分の中で、それは違うと」(山本) 加盟店を成功させるFCビジネスを作ろうと思った山本は、掃除の会社を辞め、2020年、37歳でフランチャイズビジネスインキュベーションを立ち上げる。FC展開をする会社のコンサルタントやアドバイスをしながら、2022年、「鰻の成瀬」をオープンした。 1号店はオープン当初はにぎわったものの、1週間もすると閑古鳥が鳴いた。そこで山本は従来のうなぎ店ではやっていないあることを試みる。 「うなぎ業界は老舗店が多いので固定客がついてしまっている。だから広告宣伝をやってないと気がついたんです。そこを狙ったら一定の商圏があると思った」(山本) SNSを駆使して店の広告や割引クーポンなどの情報を発信。するとすぐに効果が現れ、横浜店は繁盛店になる。そこからは次々と広告戦略を打ち出していく。都営地下鉄の窓や吊り革を使って広告の嵐を仕掛け、鰻店では珍しいテレビCMも打った。 こうした広告戦略は加盟店の信頼にも繋がっていく。 「本部のサポート力の強さを感じます。テレビ広告も打つし、電車広告、つり革広告と宣伝に力を入れているのが伝わる。FC展開で広告を打ってくれるところは少ないと思います」(日本橋店オーナー・内藤隆司) 本部の手厚いサポートに力を得て、店舗数を拡大するオーナーもいる。大森店のオーナー・萩尾大輔は2024年7月、蒲田に2店舗目をオープンした。 「(大森店の)先月の売り上げは約680万円。(本部が宣伝した時は)売り上げが跳ねます」(萩尾)こうしたFCオーナーからの信頼が、「鰻の成瀬」の成長の原動力だ。