「頑張れなくなる時は誰でもある」 五輪、結婚・出産、大学院…今も挑戦をやめない荒木絵里香を支える「目的」
苦しい時に支えになった恩師の言葉「何のためにバレーをしているのか」
「THE ANSWER」の姉妹サイトで、スポーツを楽しむすべての女性を応援するメディア「W-ANS ACADEMY」は10月4日、子供を持つアスリートを支援する一般社団法人「MAN」との共催で、高校生対象の第1回部活動キャラバンを宇都宮文星女子高(栃木)で開催した。バレーボールで五輪4大会連続出場したMANの代表理事・荒木絵里香さんがゲストとして登場し、28人のバレーボール部員に講演を実施。「自分の将来・人生を考えよう」をテーマに、オリンピック出場、結婚・出産、大学院進学など、常に新たな挑戦をする荒木さんのさまざまな苦悩や経験が語られたが、その節目で支えになった恩師の言葉があった。 幼少期は陸上や水泳などさまざまなスポーツを経験したが、小5で170センチという高身長がきっかけで始めたバレーは「めちゃくちゃ下手だった」と苦笑いで明かした荒木さん。「なんて難しいスポーツだと、のめりこんだ。“うまくなりたい”と思って」。ここから壮大な挑戦続きのバレーボール人生が始まった。 小中学校は弱小チームに所属。ただ身長が高いこともあり、高校は強豪の成徳学園(現・下北沢成徳)へ進学した。監督の指示を待つのではなく、自ら考えて練習する環境。しかし当時は「自分の気分や機嫌でしか動けない人間だった」。輪を乱し、チームメートから「出てけ!」と何度も体育館から引きずり出された。変えたのは負けの経験。「自分の責任で負けたなという経験をしていくと、どういう練習をしたらミスを防げるのか、自分がどう変わればチームが勝っていけるのかと考え方が少しずつ分かってきた」。3年時には全国3冠に輝き、初めて得たチームでの達成感の虜に。さらなる経験を求め、Vリーグ(現SVリーグ)の東レアローズに進んだ。 しかし、高校バレーから環境は一気にハイレベルに。現実は甘くなかった。試合に出られない、うまくいかない、監督と合わない、と辛い時期もあった。そんなとき、高校時代に小川良樹監督に言われた言葉を思い出した。「何のためにバレーをしているのか」。迷ったときこそ、大切にすべきは“目的”。荒木さんにとって、それはバレーを始めた時に感じた”うまくなりたい”だった。原点に立ち返り、「(試合に出られないなどの悩みは)どうでもいいやと思った。向き合う対象は自分」とさらなる挑戦へ踏み出した。 2008年、当時はスマホやSNSもない環境でイタリアへ海外挑戦。結果を残せず、決して成功とは言えないものだったが、人生観を変える出来事があった。それは女性アスリートの抱える問題の一つ、結婚・出産。イタリアでは、出産後にコートに戻る選手も珍しくない。「すごくみんな充実している、豊かに生きている」。日本とは異なる価値観が新鮮で、改めて人生を見直すきっかけになった。