生誕60周年! ホンダ「S600」はなぜ生まれた? ニュルでクラス優勝して世界に名を知らしめたブラバム ホンダのコンビとは?【クルマ昔噺】
国産クラシックカー趣味の王道として今も親しまれる「エスロク」
ホンダといえば長年にわたるモータースポーツ活動のイメージが定着しているメーカーです。ホンダの4輪においてその先駆けとなったのは、1964年にデビューした「S600」と、1966年にバトンタッチした「S800」でした。ベテランモータージャーナリストの中村孝仁氏が振り返ります。 【画像】「エスハチ」のボンネットのバルジは飾りだった!? ホンダ「S600」の一族を見る(16枚)
ホンダの生存をかけて4輪スポーツカーを立て続けに発表
ホンダがそれまでの2輪メーカーから4輪メーカーとしての出発を内外に公言したのは1962年のことであった。この年、鈴鹿サーキットが完成し、その前年にはマイク・ヘイルウッドがマン島TTレースで初優勝するなど、少なくともバイクの世界では頂点を極めた時期でもあった。この1962年10月に開催された第9回全日本自動車ショーにおいて、ホンダは2台の4輪車を公開する。それが「T360」と「Sports 360」であった。 ホンダが4輪の生産を公言するのには訳があった。それは通産省が来るべき資本自由化に伴って、日本の自動車メーカーに体力をつけさせるべく、トヨタ、日産を中心とした3つのグループに統合するという、いわゆる「特定産業振興臨時措置法案」が国会で審議されることになり、この法案が成立すると新規のメーカーの参入ができなくなる。本田宗一郎は当時通産省の事務次官だった佐橋 滋と大激論を交わしたが、法案成立は粛々と進められ、ホンダはこの状況を打破すべく、既成事実作りのために2台のクルマを仕立て上げたというわけであった。 ただその後、T360は発売に漕ぎつけたものの、Sports 360は日の目を見ることはなかった。理由は「360ccでは世界で通用しない」であった。結果、Sports 360は車体を大型化、同時に排気量も引き上げた「S500」として1963年10月に市場デビューするが、そのわずか半年後にはさらに100ccアップさせた「S600」が誕生することになる。自動車の発売を急いだ背景はこんなことであった。 ホンダS600の登場は1964年3月のことで、1966年1月からは代わってS800が投入された。そして1966年5月には、リアのチェーンドライブを通常のコイルスプリングとリジットアクスルに改めているから、チェーンドライブのS800はわずか4カ月少々しか生産されていないことになる。最終型は「S800M」の名を持ち、ラジオなどを装備した豪華仕様になると同時に、フロントにディスクブレーキが奢られ、13インチのラジアルタイヤが装着されるなどの変更が施された。
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