生誕60周年! ホンダ「S600」はなぜ生まれた? ニュルでクラス優勝して世界に名を知らしめたブラバム ホンダのコンビとは?【クルマ昔噺】
S600がニュルでクラス優勝! ホンダを世界に知らしめた
S600/S800がサーキットで暴れまわったことは当時のレース記録を見れば一目瞭然なわけだが、とりわけS600は海外でホンダの4輪車が初優勝したモデルとして語り継がれている。当時すでにF1の活動が始まっていた1964年、ヨーロッパに送られた3台のS600のうちの1台が、ニュルブルクリンク500kmレースでクラス優勝を遂げた。エントラントはジャック・ブラバム、そしてドライバーはデニス・ハルムだった。後にブラバム・ホンダを11連勝に導くコンビである。 その後この優勝車両は東京モーターショーに展示された。私が調べた限りこのクルマは現存し、今も日本にある。ただ、このニュルブルクリンク優勝車は市販S600と比べて少し様子が違う。目に見える顕著な違いはフロントグリル。ニュルに出場したマシンはS600だが、付いているグリルはS500のものだった。 また当時の量産モデルを見てもリアのコンビランプ内側にバックランプがついていたりいなかったりと、まちまち。これらを称してマニアは「エスゴロッピャク」と言うようだ。また、ごく初期のS600はエンジンの素性も違っていたようで、これもマニアの間では「(昭和)39のエスロク」と言われて珍重されている。 レースでの活躍以外では有名女優からモナコ王妃となったグレース・ケリーがS800をプライベートカーとして使用していたという逸話も有名だ。というわけでホンダS600/800こそ、ホンダを世界に知らしめた1台と言って過言ではない。
S800のバルジは「飾り」だった!?
S800はその性能をさらに引き上げた。外観の特徴はやはりグリル。当時のデザイナー陣によると、フォード「マスタング」のグリルを参考にしたものだという。また、高性能の証のようにパワーバルジが装備されたが、あくまでも見た目重視のものだったようだ。1959年にホンダに入社し造形部に配属された宮澤 崇は、トライアンフ「TR4」に憧れ、バルジを装備させたがあくまでも飾りだったと述懐している。ほかに伝え聞いたのはキャブレターをクリアするためということだったが、どうやら後付けの理由のようだ。 当時のホンダはこうして本田宗一郎の夢を自分の夢として具現化する活力に満ちていた。1983年に開催された鈴鹿20周年イベントの折、本田宗一郎はかつて自らがドライブしレースをしたカーチス号で鈴鹿を走った。その乗り込みざま、「俺に乗れるかなぁ?」と真顔で私に向かって言われたように感じたが、どうやら隣にいた人に言ったようである。それでも活力のある甲高い声、そして射抜かれるような鋭い眼差しは今も忘れない。
中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
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