「“祝祭”としての選挙でも陰りが…」 「2025年問題」を前に創価学会、公明党はどこへ向かうのか 最強の「政治宗教」に見える限界
我が国で最大の新興宗教団体、創価学会が大きな岐路に立たされている。2023年に“永遠の師匠”池田大作名誉会長が死去し、24年の総選挙では公明党が大敗を喫したが、歴史や昨今の組織情勢をひもといていくと、この25年も大きな転機となり得る。『宗教と政治の戦後史 統一教会・日本会議・創価学会の研究』『創価学会 政治宗教の成功と隘路』などの著がある北海道大学教授・櫻井義秀氏が、「政治宗教」としての創価学会の今後を展望した。 【写真を見る】創価大学出身の芸能人“二大巨頭” ***
最強の「政治宗教」
政治宗教――。私は「組織の集票力を政治的な力に転換し、政治参加をめざす宗教」をそう呼んでいる。その代表格といえる創価学会は教団のマンパワーを最大限活用し、公明党の集票力の源となっている。2005年の衆院選比例代表での約900万票をピークに減少を続けているとはいえ、24年の衆院選でも、約600万票を獲得した。 無党派層による風とは関係なく、数百万票を動かせる単独の組織は、日本では創価学会以外にない。だからこそ、同選挙で比例票が過去最低の1458万票に落ち込んだ自民党にとって、全国の地方区で選挙協力を組織的に行える公明党との関係は重要である。 なお、一般的な伝統宗教や新宗教も政治家への後援を行うものの、組織票はない。というより、信者を動員するほどの結束力や政治への情熱を持っていない。この点で創価学会=公明党は、日本において独自の戦略を持つ教団宗教と言えるのである。幸福の科学=幸福実現党や、旧統一教会と自民党議員との政策協定や協力関係などの例外もあるが、創価学会の規模に及ぶものではない。
政治への「直接参加」を求めたワケ
では、なぜ大多数の教団が選択しない政治への直接参画を創価学会は目指してきたのか。それにはこの教団特有の特徴と歴史的経緯がある。 (1)組織の拡大路線 創価学会は戦前に日蓮正宗に属する組織として発足したため、戦後も正宗の実践教学(不幸は正宗に帰依しないことが原因、信仰で現世利益を獲得できるという教え)が強い。先祖祭祀を重視する伝統仏教や農村社会と対立し、地域社会に受け入れられるよりも組織拡大をめざした。折伏(信者の獲得)に力を注ぎ、諸宗教とも一線を画している。 (2)後ろ盾となる政治組織の必要性 明治から戦前までの日蓮主義(田中智学の王仏冥合や国立戒壇論など)の影響も受けて、創価学会は1955年から統一地方選挙に参加した。57年に当時渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏が公職選挙法違反で大阪地検に逮捕されたり、同年に炭労(炭鉱労働組合)と対峙した夕張事件を惹起したりするなど、左派系政党や知識人から批判を受けたため、教団や会長を擁護する政治組織が必要だった。 (3)「政教分離違反」という批判 64年に設立された公明党は、創価学会に対する政教分離違反との批判をかわし、なおかつ政治進出を本格化させるためのものだった。しかし、69年に公明党の竹入義勝委員長の依頼で自民党の田中角栄幹事長が、料亭で藤原弘達に『創価学会を切る』という批判本の出版を見合わせることを説得した。不首尾に終わったこの言論出版妨害事件によって、創価学会批判がさらに高まり、70年に池田大作会長(当時)と日蓮正宗管長の細井日達が、誤解を与えたと弁明した。 かような歴史がありながらも、創価学会=公明党はその後50年間にわたり、信者組織を動員して選挙戦を戦い、池田名誉会長に勝利や健闘の結果を報告してきたのである。